ヒロシコ

 されど低糖質な日日

三角ベースボール

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僕らが子どもの頃、三角ベースボールという遊びがあった。どんな遊びかというのは読んで字のごとしなのだが、なぜ三角という日本語とベースボールという英語が合体してるのか、これを書きはじめてからふと疑問に思った。トライアングルベースボールとした方が断然かっこいいし、三角野球の方が自然な感じなのにね。

言い出しっぺはきっとどこかにいるはずで、その呼び名の由来もひょっとしたらちゃんとあるのかもしれないが、とりあえず僕が調べた範囲では残念ながら答らしきものはとうとう見つけられずじまいだ。

その三角ベースボール(以下、三角ベース)は、狭い空き地があればできる簡易野球のことだ。むしろ狭い空き地だからこそできる野球、といいかえてもよい。ボールは原則軟式テニスで使用するようなゴムボール。バットはプラスチック製のバットか、もしくは素手、グーとかパーで打つ。グローブもなし。

三角ベースというくらいだから、ふつうの野球のダイアモンドに相当する部分が三角形になっている。必ずしもホームベースを頂点とした二等辺三角形とは限らず、空き地の形状によっては歪な三角形の場合の方がむしろ多かった。

いずれにしても本塁と一塁と三塁の3つのベースで構成され、二塁がない。二塁がないというか、まあ考え方によっては三塁がないともいえるわけで、ともかく本式の野球にくらべて塁がひとつ足りない。

場所の問題ももちろん大きいが、遊ぶ子どもの数も少人数でできることが三角ベース最大のウリである。守備側は、もうなんだったら3人いればいい。ピッチャーと内野手と外野手。その場合のキャッチャーは、攻撃側のチームからひとり貸し出してもらう。攻撃側のチームはさらに審判を出す場合もあり、両チームで都合6人いればなんとか試合は成立するわけだ。

選手が足りないのでヒットを打った走者は塁にいると想定して試合を続行する透明ランナーというルール、フォアボールなしとかツーアウトでチェンジとか、盗塁や意図的なバント禁止などなど、そういった細かいルール(ローカルルール)のことは、あとあと大人になってわかったことだが、日本全国地域によって年代によってマチマチで、空き地の広さや遊ぶ人数によっても、ものすごく柔軟に臨機応変にアバウトでテキトーに決められていたようだ。

折しもいまは夏の甲子園野球大会の真っ盛りで、連日高校球児たちによる熱戦が繰り広げられているが、僕ら田舎の子どもたちの夏休みの屋外の遊びといえば、学校のプールか虫捕りかあとはもっぱら三角ベースボールだった。とくに、地域の少年野球でまだ入部が認められない、あるいはレギュラーになれない小学校4年生くらいのときがいちばん熱心だったように覚えている。

『フィールド・オブ・ドリームス』という映画は、「それをつくれば、彼はやってくる」という謎の声を聴いたケビン・コスナーさんが、貧乏に耐え、周囲の反対や圧力に負けず、自分の土地のトウモロコシ畑を切り開いてナイター設備のある本格的な野球場をつくる。するとある日そこに、かつてプロ野球界を永久追放され、失意のうちに死んでいった伝説の名選手たちの幽霊がやってくるという感動的な話だった。

それにくらべて僕らの三角ベースは、ちっとも大がかりなことはなく、ちょっとした空き地とゴムボール、本塁と一塁と三塁のそれぞれベースになるような段ボールの四角い切れ端や、どこかで失敬してきたベニヤ板が3枚もあれば、それでたちまちいつでもどこでも「フィールド・オブ・ドリームス」が完成した。

日が暮れかかってもなお三角ベースに興じる僕と弟のもとへ、伝説の名選手の幽霊ならぬその日の工場勤務をおえた父親が着替えとタオルや石鹸一式を抱えやってきては、「おーい、風呂いくぞー」と声をかけるのだった。

せっかく盛り上がっている試合を中断させられる口惜しさと、当時でも内風呂のない家はだんだん珍しくなっていたから、友だちの手前銭湯通いがなんだか妙に恥ずかしくって、僕はいつも怒ったようにわざと返事をしなかった、あのちょっとせつない夏の日のことを思い出す。

いまはもう、三角ベースなんてやってる子どもたちを町中で見かけることはないし、子どもたちが自由に遊べるそういう空き地もない。散歩をしていて思うのは、どこの公園でも球技は禁止になり、そればかりかブランコやシーソーや滑り台などの遊具さえない公園も多くなったということだ。