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 されど低糖質な日日

古くて新しいお葬式の常識~日程と費用についての一般的な話

伊丹十三DVDコレクション お葬式

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少し前の話になるが、近親者が亡くなり葬儀の手配等を行った。その過程で初めて知り得たこと、あらためて思い出したことを、いま覚えている範囲で簡単にまとめておこうかと思う。

映画『お葬式』のような面白いことは何ひとつ起こらなかったし、限られた時間内にひとつひとつ物事の様式や格式をほぼ即決で判断していかなければならないシーンの連続は、精神的・肉体的に想像以上の負担を強いられた。そのことは何を差し置いても書いておかなければならないだろう。

以下の葬儀等については、故人が互助会に入っていた葬儀社さんに、式場から式次第まで全面的な協力をお願いしたものである。なお、個人的な式の日程や費用については割愛した。

 

日程について(1)通夜、葬儀・告別式

一般的には、亡くなった日の翌日に通夜、翌々日に葬儀・告別式という日程になる。もちろん亡くなった時間や、宗派によっても地域によっても異なる。通夜は本来、家族や親族、ごく親しい友人といった身近な人々が線香やろうそくの火を夜通し絶やさず故人とともに過ごす儀式だったが、現代では近親者以外の弔問もふつうに受け入れる。

葬儀・告別式もかつては家族や親族が故人と最期のお別れをする「葬儀」と、近親者以外が弔問に訪れる「告別式」とで別々の儀式だった。いまでは「葬儀・告別式」と併記するように言うか、いっそひとまとめにして「お葬式」と言ったりする。

日程の上で気をつけなければならないのが六曜だ。暦の上での吉凶や運勢をカレンダーなどに記した注が、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口と6つあって、例えば結婚式は仏滅を避けて大安がいい、というふうなことがいまでも慣例のように言われる。

一方、お葬式は友引を避けるのがまあふつうですよね。友引の本来の意味は「何事も勝負がつかない日」なのだが、読んで字の如しというか漢字表記の見た目から、故人が親しかった友人まであの世に引っ張って行く、といってお葬式には適さない日と考えられてきたのだ。

友引に葬式を出してはいけないという法律やルールが存在するわけではないので、そんな古い因習にはこだわらなくても別に全然構わないのだが、現実的な問題として、せっかくの故人とのお別れの式なのに参列してくれる人が躊躇してしまったり、足が遠のいてしまうようでは、主役である故人が悲しむことにもなりかねない。

そしてむしろこちらの方がより大きな問題といえるのが、友引にお葬式が避けられる傾向から、結果的にその日はお休みにしている火葬場があるのだ。たとえ喪主が古い慣習にはとらわれないとして、親族など周囲の人々の理解を得られたとしても、火葬場がお休みでは事実上葬儀を行うことは不可能になる。

火葬場については、他にも空き状況の確認を怠らないようにしなければならない。まあ実際にはそういう事務的なことは依頼した葬儀社さんで万事つつがなくやってくれるので、いついつというこちらの要望を伝え、後は先方にお任せしておけばおそらく間違いないと思います(というかそういう信頼できる葬儀社さんかどうかという問題はあるけどね)。

と同時に、これは僕も葬儀社さんから指摘されて「はっ」と気づいたことなのだが、故人やその親族に菩提寺がある場合、お寺のお坊さんの都合も忘れずに聞くことが非常に大事となる。お寺が遠方にあって、わざわざ出向いて来られないということだってあるし、法事などが重なってどうしても日程が合わないということだってある。

お坊さんの都合を無視して一方的に日程を決めてしまい、機嫌を損ねたり印象を悪くすると、のちのち四十九日の法要や納骨などに際し無用のトラブルにも発展しかねない。たとえこちらの都合でわざわざ出向いてもらうのをお断りするにしろ、やんわりと日程を優先する旨を伝え、必ずお寺さんの了解をとった方がよいということだった。

そもそも菩提寺がない、あってもお坊さんの都合で読経に来られないという時は、葬儀社さんが契約している同じ宗派の別のお寺のお坊さんを紹介してくれるサービスもあるというから、よくよく相談してみることをお勧めします。仏式に限らずキリスト教でも無宗教でも対応してくれると思います。

以上、菩提寺のお坊さんの都合、火葬場の空き状況、斎場の空き状況、暦の上の吉凶、葬儀を営む遺族の都合、それらが上手く一致すればよいが、そうでない場合はどれかを優先してどれかに目を瞑って日程をずらすことも考慮しなければならない。

 

日程等について(2)一日葬、初七日

僕はまったく知らなかったが、最近の傾向としては通夜と葬儀・告別式を一日で済ませてしまう「一日葬」というのも徐々に一般的になってきたそうだ。通夜・告別式と2日間にわたる遺族の精神的・肉体的・経済的な負担を少しでも軽減したいというのがその主な理由らしい。

この日程プランを聞かされた時は正直心が動いた。ただしこれも葬儀社さんからのアドバイスに従って菩提寺のお坊さんに単刀直入電話で相談したところ、「通夜と葬儀は慣例どおり別々の日程で」という返答があり、一瞬だけ現実味を帯びた一日葬のプランはあっという間に潰えたのだった。

それからついでに言うと、初七日は本来亡くなった日から数えて7日目に営む法要であるが、何ごとにも忙しない現代では、初七日を葬儀・告別式と同じ日に行う繰り上げ初七日がむしろ一般的になっている。同じ繰り上げ初七日でも告別式・火葬・収骨まで終えた後に行うケースと、告別式終了後そのまま続けて行う式中初七日とがある。

読経をしてくれるお坊さんの意向にもよるのだろうが、式中初七日では、火葬場での収骨を待たずにお坊さんは帰って行くパターンが多いそうだ。斎場に戻ってくる場合は、繰り上げ初七日の後で精進落としの料理を振る舞う。式中初七日の場合は、火葬場で散会とするか、別のお店で精進落としの席を用意しなければならない。

葬儀・告別式の日程を決めるときと同様、初七日を繰り上げて行うかどうかももちろん菩提寺のお坊さんとはよくよく相談した方がよいだろう。僕らは、初七日についてはお坊さんの理解も得られて、式中初七日を営むことにしたのだった。

あと、通夜の日に近親者が斎場に泊まることができる施設とできない施設があるのでそれは事前に確認して下さい。ただし、防火という観点から、夜通し線香やろうそくの火を絶やさないという慣例は実際には行われず、あらかじめ決められた時間に火は消してしまうとのことでした(もちろん斎場によっても異なるでしょうが)。

 

費用について(1)基本料金プランに含まれるものと含まれないもの

費用に関してはお願いする葬儀社さんによっても、それからもちろん葬儀の規模や地域によっても大きく異なるので、一概に幾ら幾らとは言えない部分である。概ね基本料金プランというのがあるにはあるが、その基本には何が含まれて何が含まれない(葬具や役務にも左右される)かも葬儀社さんによってまちまちだろうからね。

ちなみに僕が利用した葬儀社さんでは、棺、遺影写真、会葬礼状(~100枚まで)、看板、当日のお世話係1名、霊柩車(斎場から火葬場)、寝台車(病院から斎場)、後飾り祭壇(遺骨を家に持ち帰ってから安置する)、棺の中で保冷用のドライアイス、式の受付セット、役所への諸手続き代行、式進行係り、などなどが基本料金プランに含まれていた。

基本料金に含まれないものには、日数分の遺体安置、湯灌*1、ラストメイク*2、供花、マイクロバスやハイヤーの手配、式場使用料、通夜振る舞いや精進落としの飲食、会葬御礼品、骨壺、火葬料金、火葬場での休憩室代やその場での飲食、霊柩車の運転手や火葬場の担当者への心づけ、香典返しなどが別料金。

ややこしいのが、そういう基本料金プランがひとつしかないかというとそれも当然違って、大袈裟に言えばピンからキリまである。しかも、もっと厄介なのが葬儀の形式自体にもいくつかの基本プランが存在する。つまり、葬儀はどんな形式でどのくらいの規模(祭壇の大きさや弔問客の人数など)で営むかによって、かかる費用が大きく違ってくるということをまず念頭に置かなければならない。

それからもちろん、お寺さんへのお布施や戒名をつけてもらう料金、交通費、場合によってお坊さんが食事を一緒にできない場合にそれ相応のお金を包む「お膳料」なども別途発生する。これらはいわゆる「お気持ちで」と言われる部分だけに、相場というのがあってないようなものだ。葬儀費用の中でいちばんやっかいなブラックボックスかもしれない。

もし仮に、葬儀社さんにお坊さんの紹介をお願いした場合のお布施の金額を参考までに教えてくださいと尋ねたら、ズバリ「〇〇万円です」と教えてくれた。それは「言い方は悪いかもしれませんが、お寺さんもうちにとってはあくまでも商品のひとつなので」ということなのだった。戒名についてはランクがあるのでそれはまた別の話。説明を聞いていろいろ納得ではある。

 

費用について(2)基本プランでも葬儀の種類によって異なる費用

大まかな分け方だが、葬儀には一般的な葬儀と、家族や親族、ごく近しい人だけで行う家族葬という分け方があるのは前に書いた。これは単純に式に参加する人数の違いが料金の差分となって表れる。

それから祭壇の種類や大きさによっても変動する。伝統的な白木の祭壇にするか、最近主流となりつつある花祭壇といって生花で彩られた祭壇にするかによっても費用は大きく異なる。通常それぞれの祭壇でも数パターンあって、故人の年齢・性別、生前の趣味嗜好、遺族の希望などでその中からひとつを選ぶのがふつう。

葬儀社によっては細かい部分で、霊柩車の格式、供花の数や大きさ、名前の看板のあるなし、通夜振る舞いの料理の格式、オードブルの種類や数、飲料の種類や数、上限を超える会葬礼状の料金などについても、いちいち訊ねられるまま決めていくと、結果的に費用に大きく上下が生じるなどということもあるだろうし。

葬儀の日程のところで実は書きそびれたけれど、一日葬より短い直葬(火葬式)というのがあって、通夜も葬式もせずいきなり火葬というパターン。遺族の精神的・肉体的な負担が軽減されるのと、なにより費用が安く済むというメリットが大きいですね。近い将来、僕はこの直葬が主流になるような気がするが、いまはまだ一般的とは言えないかもしれない。

それから火葬場での費用についてもひとこと書いておきたい。一部都内の火葬場など大きな施設では、火葬炉があるフロアが他と仕切られた特別室を利用するか、複数の火葬炉が並ぶ一般のフロアを利用するか。火葬している間に参列者が待機する休憩室を個室(人数によっても)にするかロビーなどに設えられた円卓にするか。その間の飲食をどうするか。それらのすべてにおいて料金のステージが異なってくる。

こうしてみると言葉に語弊はあるが、まさにれっきとした課金システムが存在するんだなあと感心してしまう。葬儀社の担当者は親身になってくれて、けっして無理強いはしない。ときどき「故人がおよろこびになると思います」とか「それですと少しお寂しい感じがします」とか「一般的にはこれこれこうです」「最近人気なのがこちらですね」という文言をちょいちょい挟んでくるだけだ。

冷静に考えても考えなくても向うも営業なわけで、致し方ない部分はある。というか、現実にはそれしかない。ただしあらかじめ見積もりは出るので、後からとんでもない請求書が届いて驚くということはあまりないだろう。一旦決めた後からでも期限内であれば変更や訂正は出来るのだから、打ち合わせの段階でひとつひとつ納得できる説明を求めたいものだ。

いたずらに向こうの言葉に流されるのではなく、自分たちの予算と、故人への想いと、菩提寺や親族の意向と、あとは弔問客らとの付き合いと、そういう諸々のことを考慮の上で、短い時間内で精神的な負担もかなり重いけれど、最終的には遺された者ですべてを決めていかなければならないことなのだから。

当面、親しい人を亡くした悲しみに浸っているだけではいかなくなるかもしれない。でも逆に、そういった煩わしい手続きがあるからこそ、いっとき悲しみがまぎれるのもまた事実なのだ。  

 
Fantôme

Fantôme

 

*1:故人を清めた体で送ってあげたいとの思いからお湯を使い体を洗うこと

*2:故人の生前の姿を偲んで美しく見送ってあげたいという意向から施術するお化粧や顔剃りなど