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映画『紙の月』感想~横領の額が大きくなるにつれ宮沢りえさんはきれいな女に変身してゆく

『紙の月』を見に行く。正直悩ましい映画です。ものすごく好きかといわれたら絶対そうではないし、じゃあツマラナイかというとけっしてそんなこともない。というかそうとう面白い。終始ヒリヒリした緊張感が持続して。だけどやっぱりあまり好きにはなれないというかなんというか。もやーとするなあ。

銀行で契約社員として働く宮沢りえさんが、どこにでもいるような冴えない大学生の男に貢ぐようになり、ついにはとんでもない大金を横領してしまうという話だ。こうやって書いちゃうといかにもミモフタモナイ「ありがち」な犯罪映画のようだけどね。

――以下、若干内容に触れている箇所もあります。

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宮沢りえさんはどこか儚げで地味な主婦を演じている。(みなさんご存知でしょうが)もともと美人なんだけど最初のころは少しそのオーラを消していて、横領の額が大きくなるにつれだんだん文字どおりきれいな女に変身していくという。そういうところはさすがすごい女優さんだなあと思った。

一方、夫の田辺誠一さんはエリートでいっけんやさしそうに見える。やさしそうなんだけど田辺さんのやること為すことりえさんの立場に立ってみると、無頓着すぎたり自己ちゅうで思いやりに欠けたものにしか見えないという。悪気はなさそうなんだけど、というエクスキューズがいちいち入るのがかえって罪作りだよなあという感じの男だ。

でもあえてここで「ちょっと待てよ」と僕はいいたい。

田辺誠一さんみたいな人(男も女も)世のなかにはいっぱいいるじゃないかと。自分のことをちっとも疑ってない人。相手にとって常に自分は誠実だと思っている人。きっと僕だって日常生活ではリトル田辺誠一だと思った。顔やスタイルはともかく。エリートでもないけど。

もし、宮沢りえさんが犯罪に走った原因が田辺さんの悪気はないんだけどいささか配慮に欠ける言動の積み重ねだったとするならば、僕らってそこまで相手のことを始終おもんぱかったり心を推し測ったりして生きていかなきゃならないの? と逆にそのことに暗たんたる気分になるのだった。

なにがいいたいかというと、りえさんの犯罪は田辺さんの言動とまったく無関係とはいわないけれど、せいぜいきっかけ程度で実はそれほど大きな要因ではなかったのでは? ということだ。むしろどちらかというとりえさんが生まれながらに持っている性癖(以下、性的嗜好という意味ではなく)というか、ある意味本能的ななにかによるところが大きいように僕は思った。

つまりね、世の中に起こりうることはなんでもかんでも「原因があって結果がある」というふうな単純な整合性や因果関係だけでは説明がつかないのではないかということだ。「なんでか知らないけどそうなっちゃったんだよなあ」ということがもっとたくさんあるんじゃないかと。

彼女(りえさん)の場合は生まれながらにして「見返りを求めずに与える」ことに快楽を感じる性癖があるんだと思えば納得できる。そうして「ありがとう」と感謝されることの快楽が。それが中学生時代の「恵まれない国の子どもたちに寄付をしましょう」という活動で目覚め、「ありがとう」というお礼の手紙が届くという形で快楽の味を占めてしまった。

そのエピソードについてはこれ以上詳しく書かないけれど、彼女はあの一件以来ずっと自分の性癖を封印し抑圧して生きてきたのだ。それがある日ふいと頭をもたげ、ついには抑圧から自らを解放してしまった。

そうやって考えるとあの冴えない大学生と(演じた俳優の方はスバラシイ)りえさんがあっというまに体の関係になるのも、男に大金を貢いだのも僕のなかで少しは納得がいく。「あのりえさんがそんなことするわけない!」というジレンマから僕自身も解放される。べつにりえさん横領のスリルを楽しんでるふうでもなさそうだったしね。

だからくどいようだけど大金を貢ぐ相手はだれでもよかったのだ。自分より困っている相手であれば。自分より恵まれない相手であれば。たまたまそのときあの男が傍にいたというだけで。そうしてはじめて一線を越えてしまった明け方の駅のホームから見上げた三日月。

いまの自分の暮らしなんて紙の上に書いた月のようにしょせん本物ではなくいつでも簡単に消せる程度のはかないしあわせなんだということに、彼女は気づいてしまったんでしょうね。お金(銀行でいつも数えているお札)だってそれを考えたらおなじ紙切れのようなものだし。

不倫相手の大学生の男が学費をサラ金で都合してその借金があるとわかったとき、つまり最初の200万をりえさんが男に貢ごうとするとき、「これ受け取ると僕らの関係は確実に変わっちゃうよ」と男にいわせるのって、原作にあるのかどうかわからないが、あれすごく上手いなあと思った。

つまりその程度には男はバカでもクズでもないし女をだましてやろうという魂胆がなかったとも考えられるし、いやいやその真反対で実はとんでもない性悪な男だとも考えられる。そこらへんもやっぱり映画は曖昧にしたまま終わるわけだけども。ウ・マ・イ。どっちなんだろう? っていうね。

で、さきほどの男のセリフに対してりえさんが「変わらないわよ」というのは、変わらないことを信じている期待しているというより、そもそもりえさんの側には男との関係など最初から希薄でいいのだというあきらめみたいなものがあるからなんだよね。

与える施しに対して見返りを求めるわけではない。ウソでもいいから「ありがとう」「助かったよ」といってよろこんでくれたらそれでいい。なぜならその行為自体が彼女の快楽なのだから。

映画の後半で彼女が横領したカネで男と豪遊しまくっているとき、彼女は笑ってはいるけど本気でしあわせそうな顔をしてないもの(というふうに僕には見えた)。だって、おカネを使って遊んだり好きなもの食べたり欲しいもの買ったりする行為がべつに楽しいわけじゃなくて、それによってだれかがよろこんでいると想像することが彼女の快楽なんだから。

オープンカフェみたいなところで、男が大学をやめちゃったと告白するところで彼女はがっかりしてちょっと怒った様子を見せる。男がウエイターに日傘の位置をずらしてくれとしつこくいって、彼女が「どうして?」と聞くと、「日焼け止め塗ってこなかったんだよね」って答えるシーン。なにげないシーンだけどあそこ妙にゾクゾクして怖いよね。

せっかく学費だというから工面したおカネだったのに、それに対する感謝の気持ちは薄れ、もはや男はあたりまえのような顔して日焼けのことを気にしている。勝手に大学をやめちゃった男に腹が立ったというより、自分の快楽の整合性が失われるることに彼女は苛立ったのだ。つまりどこまでいっても彼女の感情に相手の男は直接的には関係ない。

まあ、僕のいってることぜんぜん見当はずれかもしれないですけどね。そういう映画ではまったくなかったりして。その場合はゴメンナサイ。ただそうやって考えると、もやもやが少しは解消するかなあと思って。

小林聡美さん、よかったですねえ。世間の常識に照らしあわせて考えたらいちばんまっとうで常識的なはずの銀行の先輩社員が、なんかムカつくイヤな女に見えるくらいでほんとうはちょうどいいのかなあ。逆に近藤芳正さんとか大島優子さんとか超ムカつく人間なのに、「あーいう人いるいる」と妙に納得してしまうバランスというかアンバランスというべきか。

主役をはじめキャストのだれひとりにも共感できない、そしてとくべつ猟奇性もない「ありふれた」犯罪映画であるにもかかわらず、映画は面白かったという事実に驚く。起きてしまえばたいていは「ありがち」なことで世の中はあふれている、ということなのかもしれません。 

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