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 されど低糖質な日日

ブルース・チャトウィン『黒ヶ丘の上で』感想

ブルース・チャトウィン『黒ヶ丘の上で』読み終る。どの一瞬も疎かにしないこまやかで美しい自然描写と、どの視点も止まったようにゆっくりと流れる時間がまるで僥倖のごとく心地よい1冊。

ふたりは雨の中、羊道を登った。丘は雲に隠れていた。低く垂れ込めた雲から下がる真っ白な飾り房のように、雨が降り続けていた。ハリエニシダとシダの茂みをかきわけてエイモスが歩き、メアリーはそのすぐ後ろを、彼がつけた足跡に自分の足を入れるようにして歩いた。(本文引用)

一方で自然は人間にとって過酷なまでに辛く厳しく当たり、時は容赦なく世界を変えていく。20世紀がやってくると同時にこの世に生を受けた一卵性双生児のルイスとベンジャミン兄弟の年代記だ。

ふたりはウェールズとイングランドの境界線上にある黒ヶ丘の上の「面影」という農場に生まれた。生まれてから死ぬまでのあいだたった一度の例外を除いてついぞ村から外の世界へ出ることがなかった。

母メアリーの嫁入り道具である同じベッドで兄弟は眠った。世間に興味津々の兄ルイスとどちらかといえば慎重な弟のベンジャミン。片方の身になにか異変があればその同じ痛みをもう片方が感じる。そんなふたりが80歳を迎えたところからこの厳かな物語ははじまる。

一転、両親の出会いの場面へと話はほぼ100年前へと遡り、やがて双子が生まれ、生涯で二度の大戦を経て、両親の死による生活の激変にも耐えながら、父エイモスから受け継いだ農場を大きくし、再び80歳の誕生日を迎える現代へと円環していく。

徴兵拒否・出兵拒否とそれにともなう苛めや嫌がらせという大きな事件も、土地の境界線をめぐるトラブルから農場の鶏や羊が盗み盗まれ殺し殺されるという憎しみ合いも、あるいは宗教上の対立も恋愛沙汰も夫婦げんかも兄弟げんかも、どれもが同じようなウエイトで語られるのがいい。

世紀がひとつ進むという時代のうねりの中にあっては、いっけん地味で変わり映えしない長閑な田舎暮らしであるかもしれないが、当人たちにとってはどんな些細なトラブルであろうがよろこびであろうが、場合によっては戦争と同じくらいかそれ以上にドラマチックな出来事に彩られた人生なのだろう。

それもこれも、母メアリーの「人生には悪いことも起きると達観していた。」性格が、いいふうに双子たちを左右し影響を与え、この物語全体のトーンをも決定づけているのだと思った。

セスナ機に乗って自分たちの農場をはるか上空から眺める場面は物語の白眉だろうし、ジーンと心に沁みた。あっけない幕切れは深く心を突き刺した。

生涯独身をとおしたふたりには、一生をかけて大きくした農場の跡継ぎがいないという問題に最後直面する。だがそれもどうにか血縁者が見つかり、跡継ぎは適度に陽気で苦労知らずで怠け者で世間ずれして、でもやさしくておもいやりがある若者に育つ。

彼の代になり、ルイスとベンジャミンの農場はこのまま世間の波に飲み込まれてやがて衰退していくんだろうなあと容易に想像できるけれども、(おそらく双子もそうであるように)まあそれも時代の宿命だと諦められる程度には読後感が爽やかなのがよかった。 

黒ヶ丘の上で

黒ヶ丘の上で