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『この世界の片隅に』ネタバレ感想~白木リンは実在しなかった!?

Amazonプライムビデオで『この世界の片隅に』を見た。実は劇場公開のときに見て以来、どこか釈然としない整理がつかない何かが、魚の小骨みたいに喉のあたりにひっかかっていた。当時は私的な事情もあり、ブログを事実上閉じていたので感想を書くことも叶わなかったが、そうでなくったってその整理のつかない何かを抱えたままでは結局何も書けなかっただろうと思う。今回あらためて見直してみて、少しまとまって考えたことがあるのでそのことだけでも書いてみたい。と言ってもほぼ個人的な妄想ですが。そして長い。あ、映画はまごうことなき傑作でした。☆100個(☆5個満点)。

18歳のすずさんに、突然縁談がもちあがる。
良いも悪いも決められないまま話は進み、1944(昭和19)年2月、すずさんは呉へとお嫁にやって来る。呉はそのころ日本海軍の一大拠点で、軍港の街として栄え、世界最大の戦艦と謳われた「大和」も呉を母港としていた。
見知らぬ土地で、海軍勤務の文官・北條周作の妻となったすずさんの日々が始まった。

夫の両親は優しく、義姉の径子は厳しく、その娘の晴美はおっとりしてかわいらしい。隣保班の知多さん、刈谷さん、堂本さんも個性的だ。
配給物資がだんだん減っていく中でも、すずさんは工夫を凝らして食卓をにぎわせ、衣服を作り直し、時には好きな絵を描き、毎日のくらしを積み重ねていく。

ある時、道に迷い遊郭に迷い込んだすずさんは、遊女のリンと出会う。
またある時は、重巡洋艦「青葉」の水兵となった小学校の同級生・水原哲が現れ、すずさんも夫の周作も複雑な想いを抱える。

1945(昭和20)年3月。呉は、空を埋め尽くすほどの数の艦載機による空襲にさらされ、すずさんが大切にしていたものが失われていく。それでも毎日は続く。
そして、昭和20年の夏がやってくる――。

(公式サイト https://konosekai.jp/より「あらすじ」引用)

この世界の片隅に

この世界の片隅に

 

以下、ネタバレ。 

 

なぜ世界の片隅「で」ではなくて片隅「に」なのか

こんな馬鹿なことにこだわるの僕だけかもしれないが、いきなり些末な話から入ります。しかも結末ネタバレ。映画のラストシーンにほど近い場面。原爆投下後の廃墟のような広島の町で、主人公のすずが夫である周作にこんなふうに言うのだ。「周作さんありがとう。この世界の片隅に、うちを見つけてくれてありがとう」。映画のタイトルにもなった(もちろんこうの史代さんの原作漫画のタイトルもそうだけど)とても重要な台詞である。でもなんでこの世界「で」じゃなくて、この世界「に」なのだろう?  実はそのことを僕はずっと考えていた。

翻って映画の冒頭。すずと周作は結婚前に(両親が勝手に決めた縁談)一度出会っている。それもまだふたりが幼い時分のこと。家業の手伝いで町に海苔を届けに行ったすずは帰り道、迷子になったあげく人さらいのバケモノにまんまとさらわれてしまう。バケモノが背負ったかごのなかに押し込められるとなんとそこには先客がおり、それが幼い頃の周作だった。こうしてふたりは偶然めぐり会う。

このシークエンス、妹のすみを楽しませるためすずが描いた作り話の漫画のなかで僕らは知ることになるという小さなオチがつくのだ。このことに限らず映画は全編、すずのモノローグや創作漫画やイラストでストーリーが展開していく。いわゆる「信頼できない語り手」*1というやつだ。

僕がはじめにイメージしたのは、のちに奇跡のように思われるすずと周作のこのファーストコンタクトのことを指して、すずは「うちを見つけてくれて」と言ったのだろうなと。なるほど、いかにもドラマチックな出会いではあるが、でもだとしたらなおさらこの世界の片隅「で」、の方がこの場合相応しくないかなあと僕は思ったのだ。なのに片隅「に」なのはいったいどういうわけかしら。あ、いや、まあどっちでもいいっちゃあいいんだけどもね。すいません初っ端から細かすぎて伝わらない話題で。

『相棒』の杉下右京さんといっしょ、細かいことが気になる性分なもので。とうとう格助詞の「で」と「に」の違いをざーっと調べてみた。僕の頭脳ではなかなか明確な違いを説明するのは難しいのだが概ね、「で」は何かが “行われる” 場所などを表す場合に用いられ、一方「に」は何かが “ある” 場所や、行動の到達地点を示す場合に用いられる、ということらしい。つまり片隅「で」見つけるといった場合は、ピンポイントで発見する(される)事実・事象を言い、片隅「に」見つけるの場合は、見つけた結果いまでもその場所にあり続けるというようなニュアンスを言い表すのではないかと僕は理解した。漠然とした理解です。

映画を見た人ならわかると思うけれど、すずも他の登場人物もさかんに「居場所」という言葉にこだわるのだ。曰く「どこにもうちの居場所がない」とか「ここがあなたの居場所だと思っていいのよ」とか「そうそう居場所はなくなりゃせんよ」とかね。当時の年頃の未婚の女性にとって、誰かの、ましてどこかの家に嫁ぐことがどれほど重要な意味を持つのかは想像に難くない。つまり何が言いたいかといえば、すずが周作に言った「この世界の片隅にうちを見つけてくれてありがとう」という台詞の片隅にも、同様の言葉が潜んでいたのではないかと僕は考える。

ただ単に幼い頃どこかだか知らない場所でこんな自分を見つけてくれてありがとうと呑気に口にしているわけでなく、最初の出会いから今日まで長い年月を経て、数々の苦難を乗り越え、「この世界の片隅にうち『の居場所』をみつけてくれてありがとう」と、すずは周作にその万感の想いをストレートに伝えたのだ。そうして言うまでもなく、居場所というのはこれも特定の場所(例えば家とか)を指すのではなく、もっと抽象的な広義の意味での「居場所」である。

 

「信頼できない語り手」についてもう少し掘り下げてみる

さきほど書いた「信頼できない語り手」ということをもう少し掘り下げて考えてみたい。幼いすずと周作がバケモノにさらわるシーンはすずの創作漫画のなかに出てくる作り話だというのは前述したとおり。で、ひとつ重要なのはこれがほとんど映画のファーストシーンであるということ。戦争の悲惨さとリアルに向き合ったこの作品のなかで、あからさまにフィクションとみなされるバケモノをあえて冒頭に登場させた意図はなんだろうか。それはつまり映画全体がいわばこの「信頼できない語り手」によって展開していきますよ、という作者の宣言なのだろうと思う。しかもよりによって見るからにバケモノ然とした人物、というか紛れもないバケモノ本人が登場する。

すずの創作漫画では、バケモノのかごのなかからすずと周作はほどなく脱出に成功するのだが、もし、ふたりの出会いを運命的なものとして本気で描くつもりだったのであれば、助かったのはすずの機転からではなく、ちょっと大人びた少年の周作が勇気を振り絞った行動ですずを助け出す話にもっていくのが自然ではないかなあと思った。なのに実際は(実際というかそもそも創作だけど)ご覧のとおり。周作はそのことを(すずの服に縫い付けてあった名札とともに)ずっと忘れずに覚えていたという。

でも前述したように映画のクライマックスで、すずが周作に自分(の居場所)を見つけてくれてありがとうと告白するのであれば、ファーストシーンは周作をヒーローとして印象づけておいた方が辻褄が合うように思う。なのにそうしなかったのはなぜなんだろうねと。当然憶測ですが、作者は(こうの史代さんは)実はこのふたりのファーストコンタクト自体にはそれほど重きを置いてないのではないかということです。大事なのはこの世界の片隅「で」周作がすずを発見した事象ではなく、ふたりで自分たちの真の居場所を見つけていく過程にあったということは前に述べたとおり。

もっと言えば僕はね、人さらいにさらわれた話自体すずの作り話であり、せいぜい町で迷子になってそれに近い怖い体験をしたのは本当だとしても、そのとき年上のしっかりものの周作に道を案内してもらった程度の話を、いかにも妹のすみを歓ばせるため面白可笑しく話を膨らませたというのが真実ではないかと想像する。どこの誰かも知らない少年(まだ当時は周作だということも、のちの夫となる人だということも知らない)に助けられる話よりかは、自分(すみにとっては姉)の機転によって間一髪助かったというストーリーにした方がすずにとってもカッコつくし、すみもその方が歓ぶだろうと。あくまでもすずは「信頼できない語り手」なのだから。

むしろここで大事なのは「迷子」になるという事態の方にあるのだが、そのことは後述するとして。このバケモノの話は、作品全体のリアルな作品観のなかにあってそこだけ異質なことを問題にするよりも、絵を描くことや空想が好きで、働き者で、ちょっととろいけど案外機転の利く子、というすずの性格を紹介する手段のひとつだった考える方がどうも僕にはしっくりくる。

のちにすずが周作に「以前どこかでお会いしましたか?」と尋ねたとき、周作がそれに対して「幼い頃に」と答えることで、観客はあああのときのバケモノのかごのなかの少年が周作だったのかと妙に納得するわけで、巧みにロマンチックな話をミスリードするんだなあといま思うとほとほと感心するよね。いろいろと夢のない話を書いて申し訳ないですが。

座敷童の話について、あるいは白木リンは存在しないということについて

夢のない話ついでに、思いきってもう少し怒られそうな与太話を書きたい。バケモノの話と同じように、座敷童の話もすずの創作であると僕は考える。まあそういう孤児がすずのおばあちゃん家の屋根裏にこっそり潜り込んでいて、おばあちゃんもそのことを承知で住まわせていたというのは事実かもしれないが(時代考証もしてるだろうし)、のちに判明するようなリンがあの時の座敷童だったというのはいかにも「信頼できない語り手」のすずが作りだした完全な創作だろうと僕は思う。

で、白木リンである。この映画最大の謎は、なぜ原作漫画であれほど重要な登場人物と目される彼女を、さらには彼女にまつわるエピソードをほとんど根こそぎといっていいくらいごっそり削ったのかということである。監督の片渕須直さんは、これ以上の苦難は(要するに周作とリンにまつわるエピソードは)2時間の映画のなかですずがそのショックから立ち直るにはやや耐えられない重さのものだろうから、という理由で泣く泣くリンのエピソードをカットしたのだとのちに語ったそうだ。が、僕はその話も存外怪しいなあと睨んでいるのだ。

だってそれで原作者のこうの史代さんが納得するとはとても思えないもの。なにしろ白木リンですよ。原作読者の圧倒的な支持を得ているあの白木リン。承知のとおり映画ではあっさりカットされたが、遊郭近くの海軍施設で働いていた周作はすずと出会う以前に遊郭でリンと出会い、一時期猛烈に熱を上げていたことを匂わせている。熱をあげるというか、結婚の約束をしあった仲だったのかもしれない。

でもさすがに相手は遊女だから、そりゃあ周作の両親の猛反対に遭うのは火を見るよりも明らかだろう。そこで周作はリンを諦める代わりに、幼い頃たまたま町で一度だけ出会ったことがある迷子の「浦野すず」という女の子の名前をなぜか覚えていて、彼女となら結婚してもいいよとわざと無理難題を両親にふっかける。ところが周作の両親は、根性ですずを見つけた。万事休す。

白木リンの話に戻るけど、僕はそもそもリンの存在自体にもそうとう懐疑的だ。あのバケモノや座敷童同様に。遊女ということでいえばリンとともにもうひとりテルという遊女が出てくる(映画には出てきたかなあ?)。軍人のお客さんと川に身を投げ心中しようとして生き残ったという女性だ。結局それが原因で最後は肺炎で死んでしまうのだがでもさ、テルのエピソードまで要る、かなあ?

僕はあのテルこそが実はリンのモデルなのだと思った。彼女から訊いた話を元にすずはリンというひとりの女性像を創作したに違いないと。ではリンは完全に創作かというとそれも違って、彼女の元となると女性はちゃんと別にいた。といっても僕は実際見たわけではないんですけどね。くどいようですがただの妄想ですよ僕の。

すずが知り得ないもうひとりの遊女ではない女性が周作が働く軍の施設の周辺にいて、彼女こそ周作が本当に結婚したいと熱望していたにもかかわらず、なんらかの事情で両親に猛反対され、でも周作にすれば簡単に諦められない。結婚後も彼女の影は常に周作の周りにつかず離れずあって、あるいは周作はこっそり浮気でもしていたのかもしれないし、すずはその事実を折に触れ察しては心痛めていたに違いない。

周作の妻としても代用品。足の悪いお義母さんの代わりに家事をする女手の代用品。そんな境遇で北條の家に嫁としてもらわれた現実がすずの上に重く重く圧し掛かる。自分の居場所はどこにあるのだろう。すずはそのことが不安で、その不安を払拭したい一心から白木リンというあえて自分が絶対敵わないような理想の女性像を(でもせめてふつの家庭の女性ではない遊女を)周作の浮気相手として想像し自分を慰めたのだと。

のちに思わせぶりに使われる口紅はテルの形見だったり。物語のなかで死んだことをはっきりさせたのはテルだけだったり。リンはテルである。そしてテルであってテルでもない。どこの誰かも判然としない市井の女性であると考えればいろいろ納得できることはあるのだ。

しかも音で聞いても字面をみてもわかるとおり、すずとリンである。2人の関係は相対するものというよりいわばコインの裏表だと考える方が理に適っている。言ってみれば2人は同一人物で、SF的な言い方をここであえてすれば、リンはすずが選ばなかった(もしあのとき○○しなかったら、あのとき○○していたら)もうひとりの自分ということになるだろうか。先ほど書いた、「迷子」になるというシチュエーションが重要だという話をまだ覚えていますか。

ジブリ映画を持ち出すまでもなく、物語のなかで主人公が迷子になるのは、そこに異世界の扉が開いた証だというのはもはや文法である。バケモノに出会ったのも、実はひそかにすずが周作と結婚前に二度めの再会をするのも(このときは逆に周作が駅までの道で迷子になった)、遊廓に迷い混んだのも、したがってそれ以降の話はおよそ異世界の話(つまりはすずの都合がよい創作)と考えるのが自然だろう。

白木リンは実在しない!  でも周作の想い人は他にいる! なんて、びっくりマークまでつけて力説しなくても、ま、所詮作り話の上の世界のことなんたけどね。いずれにしても自分は誰かの代用品でしかないと知るというのはあまりに酷な辛すぎる現実だよねえ。

大げさに言えば、戦争の悲劇よりも、焼夷弾の爆発で自分の右手を失ったことよりも、可愛がっていた姪っ子の晴美さんを自らの不注意から死なせてしまったことよりも、そのことで義理のお姉さんに「人殺し」と詰られることよりも、原爆で両親を亡くし、妹はいまも後遺症で苦しんでいることよりも、すずにとっては「悲しくて悲しくてとてもやりきれない」ことだったのかもしれない。はじめは好きかどうかも分からない、そんな周作さんに徐々に惹かれていったすずさんだもの。

 

哲とすずは実は結ばれていた?

さて、長くなったけどあともうひとつ身も蓋もない、を通り越して皆さんをもっともっと怒らせてしまうであろう話を書いて終わりにしようと思う。周作の浮気のことを書いた以上、ふたりの夫婦生活にとって避けてはとおれないエピソードである、周作がすずを納屋に向かわせるシーンのことにも触れないわけにいかない。「積もる話があるだろうから」と、水原哲が泊まる納屋へ 行火を持たせて周作はすずを向かわせた。しかも母屋の鍵まで内側から閉めて。

周作が哲の元へすずを向かわせた理由は定かではない。言葉どおり積もる話もあるだろうからあとは幼馴染のふたりでゆっくりと、なのか。はたまた自分と他の女性とのこともあってその後ろめたさからか。あるいは、軍の施設で自分が知り得た情報によってまもなく死地に赴いていくことになるであろう軍人の哲にせめてものつもりですずを差し出す決意をしたからなのか。

案の定、哲は納屋のなかですずに迫る。そんな哲に対してすずのモノローグは、「うちはこのときをずっと待っていたのかもしれない」というニュアンスのものだったと思う。だけど結局、すずは自分をそう仕向けた周作に怒って、哲の誘いを拒んでしまう。というふうに映画では見えた。よね? まあ大方事実はそうなのだろう。でもね、僕はあの夜、ひょっとするとそういう行為があったのではないかと思っているのだ。

哲にとってすずは初恋の相手である。一方のすずも同様。それに哲自身は戦死を覚悟している。すずにもそのことが理解できる。かつて周作が自分を代用品として嫁に迎えたことに対する怒りと悲しみがある。そしていままさに死地へ赴こうとする軍人さんに、言葉は悪いがあてがう女性の代用品として自分を差し出した周作。そんな二度まで三度までの裏切り行為に対する憤りも相まって、すずは哲に一夜限りの身を任せたとしても僕は全然不思議じゃないと思うんだけどなあ。いや、もうほんとすいませんいろいろと。すずさんに限ってそんなこと……。

 

その他の一般的な「この世界の片隅に」についての感想

この作品は、戦争の真っ只中でも普通に生きようとする市井の人々の懸命な姿を描いた傑作だった。戦争は日常の一部分、延長線上にあるもので、すずが描く絵の背景のようなものでしかなかった。呉港に浮かぶ軍艦の名前を晴美さんが次々と言い当てるのも、いまでいう電車の名前を言い当てるあれの戦時中バージョンという具合だ。あまつさえ空襲を受けたときでさえ、「いまここに絵の具があればなあ」とすずは呑気なことを言う。それだって、いまふうのインスタ映えするスマホ写真を撮りたがるのと何ら変わりない。

もちろんまだ時代が緊迫感を増す前のことだったというのもあるだろう。すずさんが僅かな配給食材と道々の雑草を摘んで、それなりの料理を工夫して楽しむ姿は、タブレットやスマホ片手にクックパッドのレシピを見ながら料理する現代の人の姿そのものだった。かつて日本に戦争があった時代、市井の人々がどんなふうに暮らし、どんな食事をし、着るものはどうしたのか、結婚とはどんなふうに考えられていたのか、家制度というものに縛られその重圧のなかで性の問題にさえも、ひとつひとつに丁寧に真摯に向き合った映画だった。

日めくりのカレンダーが一枚また一枚とむしり取られていくように、すずさんのブログが日々更新され続けるように、あの誰もが忘れることができない昭和20年8月6日がやってくる。しかしその日の光景さえもどこか他人事のように遠い世界の出来事のように片付けられてしまう徹底ぶり。ハンドマイクを握りしめ声高に戦争反対を叫ぶでもなし、戦争は日常生活の単なる背景に過ぎない。戦争なんてなんら生活の本質的なものとはなり得ない。という姿勢を貫けば貫くほど、むしろ逆に、これほどまでも見事な反戦映画の傑作を生み出したのである。

すずが摘んだたんぽぽの綿毛が飛んで、山の麓の方から仕事を終えた周作が帰ってくる絵に重なるシーンの楽しさ。そのまた綿毛の背景に、やがて今度は呉の港に軍艦が帰還する絵が被さる。空爆が絵の具をキャンパスに無造作に叩きつけるようなシーンになったり、その空がゴッホの代表作《星月夜》みたいなタッチになるところは鳥肌だった。すずさんが右手と晴美さんを失うシーンのあれはなんという手法の絵なんだろうなあ。思い出すだけでポロポロ涙が出そうになる。

僕はこうの史代さんの原作漫画を読むには読んだが、正直言うと彼女の描く絵がやや苦手なのだ。絵が苦手というか、一コマ一コマ(その一コマからはみ出したところにも)あまりにも情報量が詰め込まれ過ぎて豊富過ぎて読んでる途中で少し疲れてしまうことも。なので原作漫画にすごく思い入れがあるかといえば答えは yes であり no である。その点、映画版は当然声優さんの声がかぶさりその他の音もあり漫画にはない色があり動きがあるから、絵は見た目はずいぶん整理されて見やすくなっている。まあそのあたり個人的には映画の方が好きかもだった。

あと声についてはもうとにかくのんさんありきの映画で、見事なはまりっぷりだった。すずの「ありがとう」のイントネーションが、厳密には異なるのかも知れないけれど『東京物語』の東山千恵子さんの「ありがとう」を思い出させてくれて感激した。作品世界のユーモアのセンスは井伏鱒二の『黒い雨』に匹敵するレベルだと思った。この記事の冒頭で触れた『この世界の片隅に』のタイトルにもなった台詞が発せられるあの廃墟の町の橋の上のラストシーン。すぐ背後を例のバケモノがワニのお嫁さんをかごに背負って通りすぎるシーンのあの独特のユーモアセンスの豊かさに唸らされた。

終戦の日の村のあちこちの家のかまどから煙が立ちのぼるシーンの美しさは感動的で他に例を見ないほどだった。北條家にもらわれていった戦争孤児の女の子のしあわせを願わずにはいられない。そして「この先ずっとうちは笑顔の入れ物なんです」というのんさん、ほんとうに俳優生活でもずっとそうであってほしいなあと心から祈っています。 

*1:小説や映画などで物語を進める手法の一つ(叙述トリックの一種)で、語り手(ナレーター、語り部)の信頼性を著しく低いものにすることにより、読者や観客を惑わせたりミスリードしたりするものである。(Wikipedia)