(過去記事のリライトです)「あいさつをしない人」っているけど、あれいったいなんなの? という小さな義憤と、それに対処すべき僕なりの納得のしかたについて書いた。
同じ職場でも部門や部署が違うため直接いっしょに仕事をする間柄ではないが、ちょくちょく顔を合わせる人がいる。その程度の関係でもほとんどの人とは朝や帰りにすれ違えば「おはようございます」「お先に失礼します」「おつかれさま」など、ごく自然にあいさつを交わす。ところがなかにはこっちが「おはようございます」とあいさつしても、いっこうに「おはよう」と返して寄こさない人がごく少数存在するのだ。あれ、いったいなんなんでしょうね?
あいさつすると自分のHPが目減りするとでも思っているのか。「おはよう」というのが面倒ならせめて「おう」でも「ああ」でも「うん」でも「ん」でも、もしアレだったら会釈だけでもいいので返してくれると実際のところそれでずいぶんこっちの気分もスッキリするんだけどなあ。あ、でもあいさつが返ってこないから気分が晴れないというのでは、逆に僕がたかがあいさつ程度で自分のHPが上がるとか、他の何かを期待していることの表れでもあるのか。
ただそれはそれとして、あいさつをしない人の心理に根づいたさまざまな要因を推測してみると、まずいちばん理に適ってわかりやすいのが、先方がこっち(僕)のことを嫌ってる場合だろう。たとえ一度も話したことがない相手でも、なんとなくそりが合わなそうな間柄というのは不思議とお互いピンとくるもので、これはまあいってもしょうがない。そんな相手とは僕の方もたいがい無理してあいさつしているわけで、なので無視されても、というか無視される前提で僕はあいさつしている。で、実際無視されて正直凹むけどね。
あるいは過去においてなんらかの小さなトラブルを抱え、それは僕からしたら覚えてさえいない程度の取るに足らないような小さなトラブルであっても、向うにすればいつまでも禍根を残すような根深い問題だったかもしれない場合もあるに違いない。そんな相手からもきっと無視を決め込まれるのだろう。まあどっちにしても嫌われてるんだったらしょうがない。しょうがないとわかっていても、これも案外凹む。
あと微妙に凹むのは、僕のことを格下の人間として思っている(扱っている)場合もそうだ。僕の方が職位が下か、勤務年数が少ないか。仕事においてもどこかでそういう、そういうというのはあいつ(僕のこと)仕事ができないとか不真面目だとかのよからぬ評判を聞きつけたのでしょうか、ひょっとしたら人間性の面でもあまりありがたくない噂を誰かに吹聴されることがあったのでしょうか。
いずれにしても、先方から僕は尊敬されず、尊敬どころか逆に軽蔑されたりバカにされたりしているというケースも十分考えられる。つまりあいさつを返すに値しない人間だと判断されているということだ。凹むというより、さすがにちょっとげんなりする。もしそうなら、なんとかそれは誤解だと申し開きをしたいところだが、なかなかその機会はないし、まさか相手に「誤解してる?」と直接確かめるわけにもいかないから困るよなあ。
あと、それとはまたちょっと別の意味で、単なる意地悪でそうされている場合もあるだろう。たとえばライバル心とか嫉妬心とか。それだってなんらかの原因は僕の方にあるかもしれないけど。まして、そんな相手が僕以外の別の人とふつうにあいさつしているところを偶然目撃したりしたら、これはなかなか穏やかではいられない。ときには「このやろー」と朝っぱらから怒りがこみ上げてくることだって……。
だけど、そこでこっちも次からあいさつしないでおこうと思っちゃうと、なんだか負けた気になるので、「おはようございます」と、ふだんどおりのかたちどおりのあいさつはするようにしているのだ。それが僕のちっぽけなプライドでもある。返事なんて返ってこないと最初から思ってあいさつすればいいから楽なもの。むしろ優越感さえある。僕のそういうところ、相手はかえってムカつくというか癪に障るかもしれないですね。ははは、ざまーみろって感じ。いや、ほんと、人間ちっちゃくてすみません。
あ、でも真面目な話、親しく接しろとはいわないけれど、たとえ気にくわない相手とでも朝と帰りのあいさつくらいそつなくこなせよと、僕は世間の人に広くいいたいのだ。難しく考えず、ルーティンみたいなつもりで。その方が平和ですよ。ただし、逆説みたいになるが、僕も含めて誰に対しても周囲の人に公平にあいさつしない人だったら、それはそれで僕はちっとも構わないと思う。万事徹底しているような人はね、それはれでいい。
あとデフォルトでいつも単純に不機嫌な人とかも僕は否定しない。それは社会人としてどうなの? と思わないでもないが、まあそういう人が世の中には一定数いることは理解できる。または、どういう理由でそうなったのかわからないが、そもそもあいさつの習慣がない人。あいさつ自体が無駄だと思っている人。照れ屋で人見知りな人、なんとなく自分に自信が持てなくて絶えず人と接することにおどおどしている人や、他人に対する警戒心がいたずらに強い人や、あいさつがどうも苦手でそれを強要されるのも苦痛だというタイプの人もいるだろうと想像できる。
それらの要因についてはもともと僕には与り知らぬことなので、そういう人のこころまでを無理やりバールでこじ開けようとしたり、捻じ曲げようとしたり反対に真っ直ぐにしようなどという傲慢な考えはさすがに僕にはない。まれにだけど、しょっちゅうなにか考え事をしている人や、夢中になっていると周囲がまったく見えなくなる人、実際物理的に視力が悪い、耳が遠いだけの人なんかも、すれ違いざま自分にあいさつする人の存在を具体的に認識できなくてつい返事をすることをためらうケースだってないとは限らないでしょうけどね。
結論として、誰に対しても公平にあいさつをしない人に対しては僕はわりと、いやむしろとっても寛大で、一方僕のことを嫌ってるか見下している人が僕だけにあいさつを返して寄こさないのは頭にくるなあ、というなんともスケールのちっちゃい、いかにもありがちな話になった。そしてそういう人相手にも、僕は、内心凹みながら今日も淡々と「おはようございます」「おつかれさま」とあいさつをくりかえすのだ。それこそが僕の精神の平穏と保つ唯一の方法なのだから。