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クマのプーさん実写映画『プーと大人になった僕』ネタバレあり感想~何もしないことで忙しい

実写版「クマのプーさん」というのも驚きである。もちろん異論はあるだろうが、プーさんといえばディズニー史上ミッキ・ミニーに次ぐ人気キャラクター。さすがにミッキーの実写版なんてのは未来永劫ありえないだろうから、いわばディズニー映画の実写版シリーズ最後の砦、行きつくところまで来たなあという感じがする。

しかも実写とアニメの合成という『メリー・ポピンズ』的なビジュアルイメージを想像したとすれば、それはおおいに裏切られることになる。なんと実写とぬいぐるみの合成、というか融合。フィギュアスケートの羽生弓弦さんの演技終了後、いっせいにリンクに投げ込まれるあのプーさんのぬいぐるみが、スクリーン狭しと暴れまわる。いや暴れまわりはしないけど、ふつうに歩いたり喋ったりするのだ。

それもそのはず、A・A・ミルンの原作童話のプーさんや、ピグレット、ティガー、イーヨーなどプーさんの仲間たちはみんな、もともとがぬいぐるみなのだから。本物の子グマを擬人化したのがクマのプーさんというわけではなく、そもそもぬいぐるという設定でお話しのなかに登場しているのだ(へー)。

よって実写版となれば彼らもこぞって、ぬいぐるみとしての出演とあいなったわけだ。そしてプーさんたちぬいぐるみの造形は、ディズニーアニメよりもむしろ原作の挿絵に近いといわれている。どうりで最初にプーさんたちがスクリーンに登場したとき、愛くるしいというより少し毛羽立ってみすぼらしい、あるいは怖い、という印象があった。

トーベ・ヤンソンの『ムーミン』原作本のなかに描かれた挿絵のムーミンが、日本のテレビアニメで見慣れた愛くるしいキャラクターなのと違ってちょっと怖い感じがするのと、あるいは同じようなものだろうか。でも大丈夫。

ストーリーが進むにつれぬいぐるみのプーさんは、だんだんと可愛らしくなってくる。おそらく動きに合わせて幾つかのバージョンもあるだろうが、ひょっとしたら映画の前半と後半でちがうぬいぐるみが、とくに後半はアニメのプーさんのイメージにより近いぬいぐるみが意図的に使われているかもしれないですね(憶測です)。

それからもうひとつ驚いたのは、プーさんがしわがれた声でおっとりしゃべることだった。個人的にはこれにも最初そうとう違和感あったなあ。なにしろ僕の人生、プーさんがどんな声でしゃべるかなんて、おそらくただの一度もまともに考えることなくのほほんと生きてきた人生だったからね。

公式サイトによると、英語版のアニメでずっと声を担当していたジム・カミングスさんという方が、本作でもプーさんの声を担当しているのだとか。つまり知っている人には当たり前のように慣れ親しんだ声だったというわけだ。

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監督のマーク・フォースターさんは、写真で見るかぎりアンドレス・イニエスタさんかブルース・ウィリスさんを彷彿とさせるような風貌の持ち主だ。代表作には『007 慰めの報酬』やゾンビ映画『ワールド・ウォーZ』など、なかなかワイルドな世界観を持つ作品が揃っている。

それ以前には『ネバーランド』のようなピーター・パンの物語を描いた作品も撮っているから、もともとそういう素地はあったのだろう。先述したとおり、実写とぬいぐるみが融合した一見きわもの的な印象の映画だけど、ドラマ部門はといえば案外これが王道中の王道を地で行くという感じだった。

少年クリストファー・ロビンが、“100エーカーの森”に住む親友のくまのプーや仲間たちと別れてから長い年月が経った――
大人になったクリストファー・ロビンは、妻のイヴリンと娘のマデリンと共にロンドンで暮らし、 仕事中心の忙しい毎日を送っていた。ある日クリスファー・ロビンは、家族と実家で過ごす予定にしていた週末に、仕事を任されてしまう。会社から託された難題と家族の問題に悩むクリストファー・ロビン。そんな折、彼の前にかつての親友プーが現れる。
プーさんと仲間のピグレット、ティガー、イーヨー、
“100エーカーの森”を舞台にした、少年クリストファー・ロビンとプーさんの物語(公式サイトより)

大人になったクリストファー・ロビンの役を、オビ=ワン・ケノービのユアン・マクレガーさん(超大物)。彼の奥さんイヴリンをヘイリー・アトウェルさん、この女優さんなかなかきれいで聡明そうで素晴らしく素敵な方でしたね。そしてなんといっても娘のマデリンを演じたブロンテ・カーマイケルさんがとってもキュートで、この子が映画にすごくいいアクセントを与えていたと思う。

公式サイトで紹介されるあらすじは、上に引用した部分のあとの展開についても実は詳しく書いている。映画を見終わったいまだからわかることだが、そこに書かれているストーリーはラストのほんの取ってつけたような結末以外、ほとんど全部を書いてしまっているのだ。いいのかディズニー、という感じでちょっと焦る。

クリストファー・ロビンは現在(物語のなかの現在)、ロンドンにあるウィンズロウ商事のかばん部門で働いている。100エーカーの森にいた少年のころとおなじトラブルシューティングの役割をいつのまにか会社のなかでも担っているが、今度ばかりは上手くいかない。体よくリストラの実行者という任務を押しつけられたのだ。

そんな忙しくてつらい仕事ゆえに、家庭でも妻のイヴリンや娘のマデリンとどうもしっくりいかずジレンマを抱えていた。そこへプーさんがやってくる。プーさんは100エーカーの森の様子がなにやらおかしいことに気づき、またあのころのようにクリストファー・ロビンに解決してもらおうと思い立ったのだった。

なので物語の設定としてはプーさんの方からロンドンに住むクリストファー・ロビンに会いにやってきたわけだが、クリストファー・ロビンがプーさんを必要として結果的には引き寄せてしまった、ともとれるアイデアがよかった。というか、プーさんとクリストファー・ロビンの関係というのはもともとそういう関係だったのだろう。

ロンドンへやってきたプーさんが、クリストファー・ロビンの家のなかをしっちゃかめっちゃかに壊してしまうシークエンスも面白かった。高そうなレコードプレーヤーや、カーペットをはちみつでベドベトにしたりね。野暮な解釈をしたくないが、きっとそれなりに象徴的な意味合いがあるのはひと目でわかる。

でもそのことでクリストファー・ロビンはまだあまりプーさんを怒らなかった。迷惑そうにイライラはしていたけど、まだクリストファー・ロビンはやさしくて、プーさんを娘のマデリンのベッドで眠らせてくれたりもした。あそこもちょっときゅんとなって僕は好きなシーンだったなあ(もっとあとで本気で怒らせてしまうのだが)。

プーさんを森へ送り届ける途中、列車の窓から見えるものを言葉でいうゲームも(たとえば「車」とか「家」とか「池」とか)、大人になったクリストファー・ロビンにはただのノイズでしかない。これと対になるようなシーンが後半、今度は娘のマデリンとプーさんたちとのあいだであって、それとの対比も面白いと思った。

その列車のコンパートメントのなかでプーさんたちがマデリンに、「クリストファーは君が何より大切だって言ってたよ」っていうところ、さりげないシーンだったけど、ほんと最高だった。この辺から僕は泣いて、あとはほとんどずっと泣きっぱなしだったもの。

「なんにもしない」が最高の何かにつながる、なんていってたクリストファー・ロビン。本当は家族おもいで、部下おもいなクリストファー・ロビンが、「夢はタダではないんだ、何もしなければ何も始まらないんだ」なんて、会社の嫌な上司と同じセリフをマデリンにまで言ってしまうようになったのは悲しいよね。

きっと長い寄宿舎学校と戦争のせいで、その寄宿舎生活と戦争従軍の描写も、ディズニー映画にしてはダイジェストながらリアルに再現してあって、なんだかプーさんの映画としてはそぐわない不思議な感じがした。

果たして大人になって変わってしまったクリストファー・ロビンは、プーさんと再会したことでかつての自分を取り戻すことが出来るのか。

まあベタな展開といえばこれほどベタな展開もないんだろうけど、それでも全般をとおしてユーモアやヒューマニズムあふれ、しかもアイロニカルなところなんて、往年のフランク・キャプラとかビリー・ワイルダーの映画を見ているようだったといえば褒めすぎだろうか。

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映画を見ていてもうひとつ意外なことで驚いたことがあって、プーさんたちの存在は誰にでも、クリストファー・ロビン以外の人間にもふつうに見えること。動いてしゃべるプーさんを見た人たちが連鎖的にプチパニックになっていく様子は可笑しかった。同時に100エーカーの森およびプーさんたちの存在が、クリストファー・ロビンだけの「ネバーランド」でなかった証拠に、あっ、と思った。

クリストファー・ロビンが、自分以外に話しかけてはいけないよ、人と違うのはびっくりされるから、というふうなことをプーさんに言うとプーさんは、
「ぼくはぼくでいちゃいけないの?」と問い返す。

奇しくも先日テニスの全米オープンで日本人として初めて優勝した大坂なおみさんが、帰国会見の場で自身のアイデンティティを問われ、「私は私」と答える場面があったが、プーさんと大阪なおみさん同じこと言ったわけだ。ぼくはぼく、私は私、自分は自分。大人になったクリストファー・ロビンがそのことに気づく映画、といういいかたもできるなあと思った。

その他にも映画は至言というか金言にあふれていた。そのいくつかを紹介すると――、

  • 「なんにもしない」って最高の何かにつながる
  • 急ぐ必要はないよ。いつかちゃんとつくんだから
  • 行ったことのない場所へ進まなきゃいけない。いたことのある場所に戻るんじゃなくて。
  • 君と過ごす日は、どんな日でも僕の大好きな日だよ。だから今日は僕のあたらしいお気に入り。

とくにさいごのなんて、プロポーズの言葉にそっくり使えそう。あとは童話のページがめくられていき、挿絵がそのままに忠実に動き出すようなスタイルも印象的だった。

クリストファー・ロビンの肩にそっともたれかかるプーさん。そんなプーさんを抱きしめるクリストファー・ロビン。さすがにぐっとくる。ラスト近くで、クリストファー・ロビンがイヴリンとマデリンを連れ100エーカーの森にはじめてやってきたとき、プーさんが少し後ろから離れて3人の姿を見ているシーンはせつなかったなあ。

せっかく大好きなクリストファー・ロビンが森にきたというのに。声をかければ届くほどの後ろから、愉しそうな3人を見守っているだけのプーさん。しあわせそうなクリストファー・ロビンを見て、うれしいような、でも今度こそ本当に遠くへ行ってしまったような寂しさを感じさせるその後ろ姿が、ぬいぐるみながら最高の演技で泣けた。

クリスタファー・ロビンがみんなの楽しいピクニックの場をそっと離れ、プーさんが待つ“あの場所”へ行くのに気づいていながら、けっしてどこへ行くの? とか尋ねずそっと見守っているイヴリンの顔もよかった。夫であるクリスタファー・ロビンを愛し、夫の過去の思い出までをも含め信頼しているふうに見えた。

巷間言われるような、「忘れてしまった子どもの心を取り戻す」とか、「休むことの大切さを思い出させてくれる」とか、正直そこまでの訴求力はこの映画にはない(と、僕は思うけど、個人差があることだからね)。でもまあ、欲張って大きな魚を釣ろうとせず、休日に釣堀でのんびり糸を垂れるくらいのリラックスした気持で見るとちょうどいいかもね。『プーと大人になった僕』でした。 

ちなみにクリストファー・ロビンって名前の響き、というか語感が気持ちよくって、ついつい言いたいだけ、な感じで頻繁に使ってしまうのだった。映画の原題も『クリストファー・ロビン』だったりする。

クマのプーさん (岩波少年文庫 (008))

クマのプーさん (岩波少年文庫 (008))

  • 作者: A.A.ミルン,E.H.シェパード,Alan Alexander Milne,Ernest Howard Shepard,石井桃子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2000/06/16
  • メディア: 単行本
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