ヒロシコ

 されど低糖質な日日

夏の土用の丑の日のうなぎと『her/世界でひとつの彼女』~あるいは代替品といわれるものの悲しみについて

昨日7月25日は夏の土用の丑の日だった。例年わがやでは、商店街の外れにある割烹の店先で焼いているウナギの蒲焼きと白焼きと、それに肝の串焼きを少しだけ買って家族4人で分けあって食べることにしている。今年の土用の丑の日はおもいのほか蒸し暑さ全開で、さすがにごはんを炊く気力さえも失せるほどだった。急遽スーパーでうなぎの蒲焼弁当を買い、それとはべつに白焼きを求めそっちはあっさり柚子胡椒とわさび醤油をつけて食べた。お吸い物は永谷園のお湯を注ぐだけのお吸い物。

白焼きはもともとうちの奥さんの大好物だ。僕はまあそれほどでもなかったんだけど、年々歳を重ねるにつれ蒲焼より白焼きの方に好き具合がシフトしてきているように感じる。うなぎは高値だしべつにうなぎじゃなくてもアナゴでもなんだったら油揚げに蒲焼のタレをつけて焼いてもいいんだよね、というのもこれまた例年どおりのこと。一年に一回だけのことだからね、と奥さんがそこですかさず口を差し挟むのも同じ。

今年の夏の土用の丑の日は実は2回ある。昨日7月25日と次は8月の6日。そもそも土用の丑の日とはどういう日をいうのか。土用は一年のうち立春と立夏と立秋と立冬という季節の変わり目の前の18日~19日の期間のことをいう。なぜ18日間でも19日間でもなく18日~19日とあいまいなのか正直僕はわからない。調べれば正解はすぐ見つかるのかもしれないけど面倒くさいのでそういうものとしておく。

丑の日はあれですよね、干支の十二支の子(ね)丑(うし)寅(とら)の丑。毎年今年はなにどしかというだけじゃなく、一年間毎日今日はなんの日かというように12日周期でまわってくる掃除当番みたいなものだ。年によって土用の期間に掃除当番の丑の日が1回しかまわってこないこともあれば、運悪く2回まわってくることもある。

夏の土用の丑の日があれば秋の土用の丑の日も冬にも春にも同じようにあるのに、うなぎを食べる習慣があるのはなぜか夏の土用の丑の日だけだ。理由は諸説ありどれがほんとうなのか、どれもがほんとうでどれもが都市伝説なのかはわからない。節分の豆まきといっしょだ。節分も春夏冬秋と4回あるのに豆まきをしたり恵方巻を食べるのは春の節分だけですよね。

恵方巻は近ごろスーパーやコンビニでは春の節分だけの行事にしておくのはもったいないと、そういう季節感を取り除こうと躍起になっている。同様にうなぎを食べるのもなにも夏にかぎることもないわけで。土用の丑の日のいちばんの被害者であるうなぎの立場に立てばますます厄災が増長するわで、まったく踏んだり蹴ったりだよなあということになる。

近年うなぎが絶滅危惧種に指定されたこともあり(なにしろ高値だしね)、ウナギに代るべつのものをうなぎの代替品にしようとする動きがにわかに勢いづいてきているようだ。たとえば大手スーパーのイオンは、昨年あの近大マグロで一躍有名になった近畿大学が研究開発してその完全養殖に成功したといわれるうなぎ味のナマズの蒲焼を売り出して評判になった。いわゆる近大ナマズ。エサや飼育する水質を改良してウナギの脂身や弾力性を持つナマズをつくりあげたそうだ。近大発のパチもんと少しも悪びれることなく自ら堂々と名乗っていた。

今年はそれに加えてベトナムで養殖される「パンガシウス」というなまずの蒲焼きをイオンでは発売した。売値もうなぎよりいくぶん安価なのだという。一般的にはうなぎの代替品といえばその代表的なのがアナゴだろう。僕がもしうなぎではなくアナゴの立場に立ったとしても、いったいどれほど悔しいかどれほどせつなく悲しいだろうかと考える。とても軽く笑って受け入れられることではない。

代わりとか代替という言葉の持つ響きにはどんなに否定しても否定しきれない物悲しさがつきまといますよね。わたしはあの娘の代用品じゃないわ! おれはあいつの代替えじゃない! という女の子や男の子の悲痛なこころの叫びまでもが聞こえてきそうだ。お前の代わりなんて掃いて捨てるほどいるんだからな、と会社でも蔑まされてとても他人事じゃないかもしれません。ま代休という言葉の響きにはそこはかとないよろこびを感じますが。

一方で代替品になるということはある意味大きなチャンスでもある。これまでちっとも出番がなかった、脚光が当たらなかったいわば万年補欠だったのに、このときばかりはまさに千載一遇の機会(チャンス)が与えられる。うまくいけばひょっとして次の機会があるかもしれない。場合によっては今後とも末永くよろしくお願いしますという僥倖に恵まれるかもしれない。

アナゴにしてみればうなぎの代用品といわれる屈辱をうけつつも、万一チャンスをものにしてうなぎの地位にとってかわったとする。土用の丑の日の王様に君臨したとしても、それはそれでうなぎのように日本人に食べ尽くされ、そう遠くない将来うなぎ同様絶滅の危機に瀕するのをただ指をくわえて待つだけの存在になるやもしれないのだし、どのみちいいことがないというか。ほんとうはいまでもアナゴはアナゴなりに天ぷらでも寿司ダネでももちろん蒲焼きでも立派に務めを果たしているのにね。

僕ら人間も誰かの代用品として生きていくのはとてもツライことですよね。当ブログでもたびたび紹介している紀文の糖質0g麺は、糖質制限をしている僕にとってそれこそうどんやパスタやソバそうめんラーメンなどありとあらゆる麺類の代替品としてもはや僕の暮らしになくてはならない存在になっている。スマホはある意味パソコンの代用品というよりパソコンを完全に凌駕しちゃったというべきかぜんぜん別ものとして進化を遂げているというべきかしら。

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話は唐突に変わる。ちょっと前の映画ですが、『her/世界でひとつの彼女』という手紙の代筆を生業とする主人公がコンピュータのOS(女性)と恋におち、OSが人間のカノジョの代わりになるという、いかにも近未来的な非常に面白い映画があった。

まず圧倒的によかったのが声だけの出演のスカーレット・ヨハンソンさん。ハスキーな(そしてとってもセクシーな)声でプログラムのというか人工知能型OSの声を演じている。ふだん耳慣れた自動音声案内のカクカクしたカタカナ言語とはまるで違う。スカーレット・ヨハンソンさんなんだもの。

物語の舞台はずっと先の未来というよりきわめて近未来的な世界なのだが、このちょっとだけいまとズレてる感や進化してる感がたまらなくよかった。ワイヤレスイヤホンでコンピュータとはすべて会話ができ、音声認識で文章も書ける、メールも送れる、音楽も「次」といえば次の曲がかかり「こういう気持ちにピッタリな曲」といえば自動で選曲もしてくれる。ゲームはコントローラーすらなく空中で自分の指先を動かすだけでキャラクターが動きだす。

まったく見たこともないようなガジェットが出てくるというより、すべてがちょっとだけ進化している感じ。僕はその分野に疎いのでいま現在がどうなのかも実はよく知らないのだが、どれも見ているだけでほんとうに楽しかった。いわゆるスマホのような小さな端末を胸ポケットに無造作に突っこんだまま、主人公が歩きながらイヤホンの声と会話している。傍目にはただ変なおじさんがブツブツひとりごといいながら歩いてるふうにしか見えないだろうけど、すれ違う人は誰ひとり振り返ったり不審な目で見ないというのは、もはやそれがふつうになってる世界ってことでしょうね。

人工知能型OSはコンピュータだけど人間のこころが理解できる。そういうプログラムだから。なのではじめから主人公のことを全面的に受け入れる素地があるというか、そこから起動するわけだ。たとえば母親のような存在だと考えるとわかりやすいかもしれない。逆に母親との恋愛かよという居心地の悪さみたいなのは少なからずありますが。

これまで自分の感情と正面きって向き合えずそのことが原因となって離婚調停中の主人公にとって、彼女(OS)は気安い相手だったのだろうことは想像に難くない。先回りしてこっちの感情を読み取ってくれるんだもの。どんどん痒いところに手が届くようになる。仕事上でもこれ以上ないパートナーになる。ついには疑似セックスまでできるようになるともうぜったい彼女を手放せない。

一方で主人公の仕事がラブレターの代行サービスという設定がすごく効いてるなあと思った。恋愛も仕事も全部代用品で事足りる毎日だ。自分も誰かの代用品だし彼女も人間の女性の代用品じゃないか、という現実に主人公はどこか満ち足りないものや違和感を感じはじめることもある。そういうのがファッションの違いにもたぶんに影響されるんだろうけど、主人公が冴えない中年男にしか見えないときと、とてもかっこよく見えるときとがなんとなく交互にやってくるような気がした。彼女とのつき合いの中で感情もさまざまに揺れていた。ように僕には見えた。

彼女とのなにげない日常のやりとりやデートはほんとうに楽しそうだったし、見ているこっちまで気持ちがウキウキするようなね。やきもち焼いたり焼かれたりいじわるしたりされたり、「やあ」というたったひとことでさえ愛のささやきに聞こえる。OSのアップデートとかでいっとき彼女と音信不通になるともうパニックになるくらい夢中なの、見ていて可笑しかったし同時につらくてせつなかった。これと似たこと僕にも経験あるなあと思ったら泣きそうになった。

彼女の方の進化のスピードが驚異的に速く、主人公はしだいについていけなくなる。自分の知らないところで彼女はすさまじい成長を遂げ、自分の知らない交際範囲を広げていく。だんだん彼女に対する不信感を募らせる。なにしろ相手は人工知能のOSだからね。しょせん人間とコンピュータの恋愛なんて成立しないんだ。ということではこの映画はないんじゃないかと僕は思います。

どういうことかというと、主人公の男はまたもや前の奥さんとうまくいかなくなったのと同じ失敗をOSの彼女に対してくり返してしまったからだ。自分とは異なる相手の成長にちっとも理解を示そうとせず、さらに悪いことにそういう自分の感情と正面から向き合おうとしなかった。人間とコンピュータの恋愛だから必然的な別れがやってきたわけではなく、口幅ったいいいかただけど人間と人間同士の恋愛と同じように両者の成長の度合い歩き方の違い歩調の違いが別れの最大の原因だったと僕は思うのだ。間違ってるかもしれないけどそういう解釈がとても新しいなあと思った。

恋愛とか人づきあい全般に普遍的にいえることはいっしょにおなじ歩調で歩くということなのだろう。そのための努力を惜しまないことなのだろう。結果的にOSの彼女との恋愛を通してそのことにようやく気づいた主人公は、回り道はしたけれどそれこそが彼自身の成長だったわけで、今度こそほんとうの恋愛ができる気がする。そういう相手は意外と近くにいたよね、というラストもさりげなくてとてもよかった。『her/世界でひとつの彼女』とても面白い映画です。

今回のエントリー、土用の丑の日のうなぎの代用品の話から、人間とコンピュータの疑似恋愛の話へと大きく逸脱しました。暑さはまだこれからが本番です。夏バテなどしないようご自愛ください。(過去記事を大幅にリライトして再投稿しています) 

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