ヒロシコ

 されど低糖質な日日

強く望まなければ出番はこない(熊本地震はまだ終わらない)

熊本地震からあっという間に一週間が経った。この「あっという間に」といういいかたも、あくまで直接の被災者じゃない僕の実感であって、熊本・大分でいまなお過酷な避難生活を強いられている人たちは、「まだたった一週間だよ」とあるいは嘆息したり憤慨したりするかもしれない。震災はちっとも終わらない。

それでも地震発生直後は、今回の地震のメカニズムと被害状況を逐一伝えることだけに全精力を傾けてきたテレビのニュース番組にも、いつのまにか少しずつまたふだんどおりのどうでもいいといえばいいようなニュースが割りこんでくるようになった。家族や仕事仲間と交わす日常の会話のなかにも、たわいない話題が急ピッチで増えている。現地にいない僕らはいち早くふつうの生活を取り戻しつつあるのだ。

あの未曽有の大災害となった東日本大震災から一週間後に、やはり僕は自身のブログで「無理にふつうの生活じゃなくてもいいんだよ」というエントリーと「補欠でいます」という、当時の心情を正直に吐露したふたつのエントリーをあげている。ちょっと長くなるけど引用してみますね。

ふつうというのは実に難しい。本当はちっとも難しくないはずで、毎日なんなく続けられることだからふつうなのに、それがこんなにも難しいなんて。同じ国で想像を絶する地震と津波があって、死んだ人の数が日ごとに増えて、いまだに安否や行方がわからない人がたくさんいて、いつも安全か危険かの議論がくり返されてきた原発の事故が実際発生し、交通が寸断され、物資が滞り、震源地から離れた僕が住む都内でも通勤渋滞と計画停電と買占め騒動などが起こり、そうしてまもなくあの震災から一週間にもなろうとするにもかかわらず、毎日毎日、余震の恐怖に怯えている。どう考えてもふつうじゃない事態だからこそ、みんな、ふつうでいようふつうでいよう、と自らに言い聞かせ周囲にも呼びかけるのだ。ところがそのふつうが案外難しかった。柄にもなく人を励まそうとしたりね。 テレビでもインターネットをみても、直接の被災者ではない僕らがいまできることは、ふつうの生活をすることだと、誰もが同じことを言う。少しだけふつうを失った人はそれではダメなのか。現実にふつうじゃないことが起こってしまったのだから、敏感に反応して少しだけ心のバランスや行動のバランスを崩したからといって、それくらいなんだ、と僕はむしろ言いたい。ふつうでいよう、ふつうが大事、と僕も最初はいってきたけれど、考えてみたら、無理にふつうを装う必要なんてまったくないんだと思うようになってきた。「ふつうじゃないときにはふつうじゃなくしていることのほうがむしろふつう」なのだ。ふつうって難しい。こんなときだからこそ、ふつうじゃなくても大丈夫だよ、とこれからは僕は誰かに言ってあげたいなあ。 (無理にふつうの生活じゃなくてもいいんだよ)

 

それにしてもあの震災からきょうでもう一週間が経つのだ。東京での揺れも僕は経験したことがないほど大きなものには違いなかったが、まさかこんな大惨事になるとは想像もできなかった。 昨日書いたように、ふつうじゃないときだから僕もつい柄にもなくふつうじゃないことを言いたくなる。ただあまりヒステリックに自分と異なる人の意見をあげつらって責めないことだ、と自分を戒める。立場が変わればその刃はそっくり今度は自分の方に向かってこないとも限らないのだから。そしてもうひとつ、これはどうしても言いたくてうずうずしていることを書いておきます。国民一丸となって、とか、オールジャパンという心構えでこの難局を乗り越えよう、という、心意気に水を差すつもりはまったくないが、野球でもサッカーでも、みんながみんなきょうのゲームに出られるわけじゃないし、いますぐ活躍できないからと言って情けなく思ったり心細く思ったりしないで、僕はね、ここは補欠でいよう、と腹を決めました。ベンチにも入れなくてスタンドからの応援になるかもしれないけど、ここは補欠でいます。もとよりお叱りは覚悟の上です。直接の被災者でもないくせに、一人前に弱ったり怯えたり憤ったり興奮したりの人間になっている。どうぞそのままで、という言葉に甘えているだけなのかもしれないが。(補欠でいます)

 東日本大震災のときは、直接具体的な被害がなくても、あの恐ろしい揺れを身をもって体験した。その後の物資不足もしかり。けれどいっても、僕は東北地方の生まれでも現地に身内がいたわけでもない、やはりどこまでいっても余所者でしかなかった。当事者意識が希薄だった。そんな僕が、ふつうでいることの難しさを嘆いてみせ、被災者支援や復興にすぐに力になれない自分の不甲斐なさをなかば言い訳のように綴っている。


正直、いま読み返すとかなり恥ずかしいですね。拙いながら書いている自分自身に陶酔しているようで。でもまあ言い訳ついでにいわせてもらうと、たぶんあのときの「ふつうでいられない」という心情も「補欠でいよう」という決意も、おそらくどちらも真実だったはずです。

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あれから5年経ち、僕の生活はもうなんの気兼ねもなくまったきふつうを取り戻し、一方で情けないことにオールジャパンの一員としてはいまだに補欠のままだ。それはまだ出番じゃないだけなのか、あるいは「補欠でいよう」などという弱気な・消極的な・逃げているような考えでいるかぎり、この先も永久に出番など巡ってこないことを薄々感づいているのか、正直それさえもわからず忸怩たる気持ちでいるのだ。

そして、今度の熊本・大分地震に際してもまた僕は同じことを繰り返そうとしている。別に隠してきたことではないが、実は僕は大分で生まれ、東京に出てくるまでは熊本で大学生活を過ごした。大昔の話だけどね。いまでも実家には足腰が弱って動けない母親が不自由な思いをしながらひとりで暮らしているし、同じ県内には弟一家や親戚が住んでいる。熊本には大学時代の同級生や知り合いも少なからずいる。

さいわいいまのところ被害を免れている母親は電話口で、水不足でペットボトルはどこも売り切れだから、水道水を沸かしてそれをペットボトルに汲み置きしているのだといくぶん快活に笑っていう。ニュースで伝えられる現地の地名に、いちちリアリティが感じられるぶんだけ、(もとより比較するようなことではないが)むしろ東日本のときよりも今度の震災ほ方が身近に引き寄せて考えられるかもしれない。

それでも最大震度7の大地震発生からあっという間に一週間経ち、まもなく僕はふつうを取り戻し、今度もまた補欠でいようとしている。この恨めしさ、後ろめたさ、罪悪感にも似た感情を、こうしてブログに認めることでなんとかやり過ごそうとしている。強く望まなければ出番など来ないことを、僕はこの5年間で学んだはずなのにね。ほんと口ばかりの人間で、申し訳ない。