ヒロシコ

 されど低糖質な日日

スティーヴン・キング『リーシーの物語』を読んだ感想(ネタバレあり)

スティーヴン・キングさんの『リーシーの物語』(上)(下)を読む。最後まで読んわかるのは、これ全編ラブレターだったってこと。ちょっとずつちょっとずつ核心をほのめかして先を読ませてしまうから、なかなかそうと気づかないけどね。で、そういうのあいかわらず上手いなあと。

いってみれば宝探しゲームみたいなもので、最初に隠してあるヒントをひとつ見つけると、そこには次のヒントの隠し場所が書いてあって、そのヒントを見つけたらまた次のヒントの隠し場所がわかるみたいな。

最初のうちはさ、正直またかあと思うときもあるんだよ。焦らされるというか、はぐらかされるというか。恋愛でもそういうの楽しいけどちょっと面倒くさいなあと思うこともあるじゃない。あれと一緒。原稿用紙の枚数稼ぐためにわざとこんなことやってるんじゃないのかって。

だけど、まあそこはぐっと堪えて読み進めるうちに、やっぱり核心部分にいったい何があるのか、どんな怖いことが待ってるのか気になってしょうがなくなる。止められない。まんまと敵の術中にはまる。べつに敵じゃないけど。

――ここから完全ネタバレあります。

でね、問題の核心(宝)はやっぱりタイトルにもあるとおり紛れもなく「リーシーの物語」なんですね。もう少し丁寧に云うと「リーシーのために書かれた物語」もしくは「リーシーに宛てた物語」。早い話が愛の告白。ラブレター。

よくもこんなふうにのらりくらりとラブレターが書けるもんだと、さすがに腹立ってきた(笑)。スコットというピュリッツアー賞もとったことがある大人気ベストセラー作家が、彼の奥さんであるリーシーに宛てたラブレターが最後に隠されている。

もちろん、ラブレターといってもそんじょそこらの安っぽい内容のもではなくて、スティーヴン・キングさんが練りに練った、スコットの壮絶な人生を賭けたリーシーへの愛の言葉がそこには綿々と綴られているわけだけども。

でね、さっきの、ちょっとずつ明かされる核心というのを逆手にとって、リーシーが自分に宛てて書かれた物語をいざ読みはじめると、「途中から始まるように思うのは……」と、わざわざこんな断り書きまで差し挟まれている。つまり前段は小説のなかで少しずつ種明かししてきたでしょ、というわけだ。

作者と読者との信頼関係の証だよ、と云ってるふうにも僕にはとれた。ストーリーだけではなく話のディテールまで読んでくれた読者なら、これが決して途中から始まるなんて思わないでしょ、と小説の向こうでスティーヴン・キングさんがニヤリと笑っている。

謎というか核心というか、そこがもちろん重要には違いないが、小説はそこに辿りつくまでのプロセス(過程)が面白いんじゃないか、と云ってるような。

ま、ここまで読んでなんのこっちゃと思うかもしれませんが、スト―リーらしきものといえば、さっきも書いたスコットという小説家が死んで2年たって、奥さんのリーシーがようやく夫の遺品を片付ける決心がついたときに、さまざまな不思議な出来事や怖い出来事が起こるというもの。

いつものキングさんらしく、ホラーの要素もあれば、血しぶき飛び散るようなスプラッター要素もあり、ミステリーの要素も、そしてそうとうファンタジーの要素がある。

もう少し具体的に云うと、ストーカーに付け狙われたり切りつけられたり、実の姉のアマンダの自傷ぐせとか、生きてる頃のスコットがたびたびどこかへ忽然といなくなってしまうとか、「悪のぬるぬる」という悪い血に体も精神も支配される話とか。これまたなんのこっちゃですよね。フフフフ……。

お姉さんのアマンダが、こんなことを云う。

「たいていの子どもは、怖い思いをしたときや寂しくなったとき、退屈しただけのときに行く場所をもってるんじゃないかな。想像力がとびっきり豊かな子がそういう世界を一からつくりあげた場合には、〈ネヴァーランド〉とか〈ホビット庄〉とか、あるいは〈ブーヤ・ムーン〉とかの名前をつける。たいていの子どもはそんなことを忘れてしまう。」

僕もそういう世界の存在を否定はしないので、よくわかる。あの世とも違う、でも現実世界ではないどこか。こういのどう説明したらいいのか。あっち側の世界、でも空想上だけの世界ではなく本当に存在する世界。自由にとはいえないけど誰もが行きたいときに行き来できる。

そういう世界にスコットは行けたしリーシーも行けるようになる。そこはだけど楽園とばかりは云えなくて、ロングボーイと呼ばれる危険な怪物がのたくっている。見つかれば食べられてしまう。ロングボーイの正体については書いてなかったけど、僕は、自分自身の内に秘めた「狂気」なんだと思った。

一夜を共にしたスコットとリーシ―が朝食の支度をしていて、スコットが「卵はひとつ、それともふたつ?」とリーシ―に尋ねると、「そうね、ふたつにして」とリーシ―が答える。

スコット「オーバーイージー? それとも "ぎょろり目玉" ?」
リーシー「オーバーで」
と、片面を焼いたらもう片面も軽く焼いてほしいと告げる。
スコット「結婚しようか?」

こんな他愛もない会話も僕は好き。ここだけ読むとまるで片岡義男さんの小説に出てきそうな台詞だ。最初に書いたように、全体がラブレターであるというのは、つまりキングさん自身が自分の奥さんにいずれ残したかったラブレター(物語)だった、というふうにも考えられますよね。

それと、「ブーヤ・ムーン」というスコットとリーシ―が往くあっち側の世界に、ポールというスコットの死んだお兄さんのお墓があって、十字架に巻きつけられたアフガン編みをほどいた糸をリーシーが辿っていくと、その先でスコットの最後の原稿に辿りつく、という手の込んだ設定に僕は泣きました。

あそこ、とってもよかったなあ。まさにその原稿こそが、リーシーの(ためだけにスコットが書いた)物語だったからだ。なにもそんな回りくどいことを、と顔をしかめたくなる人もなかにはいるでしょうが。はははははh……。 

リーシーの物語 上 (文春文庫)

リーシーの物語 上 (文春文庫)

 
リーシーの物語 下 (文春文庫)

リーシーの物語 下 (文春文庫)

 
リーシーの物語

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