ヒロシコ

 されど低糖質な日日

映画『フォックスキャッチャー』感想

『フォックスキャッチャー』を見に行く。終始不穏な空気に包まれたままの2時間。「なんか怖いなあ~なにが起こるんだろう~」とソワソワゾクゾクしながら見ているうちに、「あっ」というとんでもない惨劇が起きてしまってまさに茫然自失。超おもしろいよーこれ!

マーク・シュルツはロサンゼルスオリンピック男子レスリングの金メダリストだ。けれどいまの暮らし向きは決して恵まれてるとはいえない。兄デイヴも同じくレスリングの金メダリストだが、彼には奥さんがいて可愛い子どもたちがいるぶんまだ幸せそうに見える。それにデイヴには人望もある。

ある日マークの元にアメリカ屈指の大財閥デュポン社の御曹司(の秘書)から電話があり、一度会って話がしたいといわれる。会いに行くとそこは見たこともない大豪邸で、広大な敷地にはレスリング専用の体育館まで備わっていた。

御曹司のジョン・デュポンから「必要なものは何でも用意するからここへ来てトレーニングして次のソウルオリンピックでも是非金メダルを獲ってくれ」と誘われる。ジョンの説得に心を動かされたマークはさっそく兄のデイヴを誘うが――と、惨劇の幕はそんなふうにして開ける。

主な登場人物はマークとデイヴのシュルツ兄弟、それと彼らを物心両面でサポートしたいと申し出る大金持ちのジョン・デュポンの3人。結論めいたことをいうと、映画の終わりにこの3人のうちの誰かが誰かを射殺してしまう。

実際にあった有名な事件らしいのだが、正直ぼくは事件のことを知らなかったのか忘れてしまったかのどっちかで、つまり結論ありきでこの映画を見たわけではないということです。

なので惨劇はなぜ起きてしまったのかという謎を解明する気持ちより、純粋にストーリーがどう転ぶのか、いったい何が起きたのかという好奇心や恐怖心でいっぱいにあふれ、グラスの水はいまにもこぼれ出しそうだった。

映画をこれから見る人のために、あえて誰が誰を射殺するかはここでは書きません。ちょっと調べればすぐわかってしまうようなことですが、それでもあえて。そういうことを知らずにこの映画を見ると、見終わったあとまで3人の関係性の中では誰が誰を殺していたとしても全然不思議ではないように思える。

そもそも殺人に発展するなにがあったのか、「これだ」という明確な理由さえ見つけられないというのが正直なところだ。いっけんミスリードを誘うような描写が積み重ねられているふうでもあるが、それが真実だとか決定的だという核心に至るものはないような気がした。

あるいはもし事件が必然だったとするならば、やはり誰が誰を射殺していてもおかしくはなかったなあとぼくはいまでもそう思うのだ。

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弟のマークは、自分がどんなにがんばっても結局は兄の陰に隠れて目立たない存在なのがなんとなく不服。称賛されるのはいつも兄の方で自分ではない。自分のメダルもデイヴのコーチのおかげだと世間に思われてることに不満を感じている。兄と違って自分は孤独だし。内心兄が妬ましくもある。

兄のデイヴは、そんな弟の気まぐれやときに内向的でときに荒っぽい性格に振り回されてきた。なぜ一緒にジョン・デュポンのところへ来てくれないんだと突然いわれても、自分には家庭があり子どもの学校だってある。なのにマークはそんなことお構いなしだ。

ジョンは大金持ちで権力もあったが、彼の心はすっかり孤独に支配されていた。子どもの頃やっとできた親友が自分の母親から裏でこっそり小遣を与えられているのを見たんだ、というエピソードをマークに打ち明けたときのジョンは心底寂しそうだった。

最初からすべてが揃っていまさら自分の力で何かを成し遂げることがない。できあがったスピーチ原稿を渡されてそれを読むだけの日々。お金を出すことでしか人から称賛されることはない。ジョンのそういう内心を知ってからは、マークの気持ちはいっそうジョンに傾倒していく。

やがてジョンの言動に次第に不可解さが増していく。それにつれ今度はマークの精神が不安定になり混乱をきたしていく。ジョンに勧められた酒とコカインに溺れるようになる。とうとう見かねたデイヴが助け舟を出す。ジョン・デュポンの元へ駆けつけ一緒にトレーニングをすることを了承する。

デイヴは(マークがそうであったように)はじめこそ素晴らしいトレーニング環境を与えてくれたジョンに感謝するが、次第に彼の病的な言動や支配欲、物心だけのサポートでは飽きたらずレスリングにも本格的に口を出すようになったことに閉口する。ジョンの押しつけてくる感じが決して威圧的ではないだけにかえって不気味で怖ろしい。

マークがデイヴの家庭のことなどたいして忖度しなかったように、ジョンも日曜日だろうとなんだろうとはっきりNOというまで他人の私生活の中にズカズカと土足で侵入して来ようとする。マークもジョンもふたりとも同じように、自分と他者との境界線を容易に引くことができない人なのだ。

そうやって3人の関係はハラハラするほど緊張感を帯びていく。

この緊張感は思えば、最初のシークエンスから既にはじまっていた。トレーニング室に姿を見せたマークは、部屋の方隅に設えてある事務室にデイヴが協会のえらいさんたちを迎えてなにやら密談を交わしている様子を面白くなさそうに見ていた。声は聞こえないので相談内容がマークにはわからない。

この場面に続いてマークとデイヴふたりで組んでの地味だけれども案外激しい当たりの基本トレーニングが黙々とはじまる。途中カッとなったマークの頭突きがデイヴの顔面に入ってデイヴは出血してしまうが、何事もなかったかのようにトレーニングは延々と続く。

たったこれだけのシークエンスなのにぼくは息を詰めて見入ってしまったことにあとになって気づいた。はじまってすぐのファーストシークエンスといってもいいここだけでまるで映画の成功が約束されたかのような気さえした。

映画を見る限り、ジョンは厳格な母親の影響下から抜けきっていないように見える。ジョンは自分がコーチとして指導するチームがオリンピックでメダルを獲ることで自分を母に認めてもらいたがっているふうにも見える。でもこの場合の母親というのは自分以外の他者の象徴で、狭義に母親にこだわるものではないとぼくは思う。

フォックスキャッチャーというのはよく考えられた素晴らしいネーミングセンスだ。キツネ狩りはかつて貴族のスポーツだった。デュポン家の敷地内でもキツネ狩りが行われていたのだろう。それでジョンは自分のレスリングチームをフォックスキャッチャーと名付ける。

ジョンはキツネ狩りに倣って優秀なレスリング選手を集めオリンピックの金メダルというキツネ(獲物)を仕留めさせようとする。マークやデイブはさしずめジョンにとってキツネを狩るために領地内の森を走り回る狩猟犬だ。

そしてそうやって育てられた狩猟犬は本当に主人と認めた人間の命令しかきかないという。狩りの成果や称賛は主人ひとりが享受すべき栄誉だ。自分の命令を聞かない選手はチームに必要ないし、コーチもふたりとは要らない。

なのだが別の意味で、ジョンこそが飼い主(世間の人々、具体的には母親でもいい)に上手にキツネを狩った成果をほめてもらいたがっている狩猟犬そのものでもあるという、この二律背反の悲しさが見事に描かれていた。

顎をこころもちツンと持ち上げた表情で「グッド(いいぞ)」というジョン役のスティーヴ・カレルさんの狂気の演技は鳥肌が立つほど美しかった。本気で怖かった。ダブル主演といってもいいマーク役のチャニング・テイタムさん、兄デイヴを演じたマーク・ラファロさんもとっても素晴らしかった。

それぞれ本物のレスリング選手らしい肉体をちゃんと作って撮影に臨んでいたし、トレーニングも試合もまるで本番を見るようなピンと張りつめた緊張感で汗や息遣いや興奮がスクリーンのこっち側へ伝わってきてよかった。 

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