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 されど低糖質な日日

片岡義男『ミッキーは谷中で六時三十分』/パトリック・モディアノ『ある青春』感想

片岡義男さんの『ミッキーは谷中で六時三十分』を読む。久しぶりの短編集。僕はどちらかというと、そのつど新しい小説世界に入り直さなければならない短編集よりじっくり読める長編の方が好きなのだが、たまにはいい。

そしてこれも久しぶりに大学生のころ夢中になって読み漁った片岡義男さんときた。懐かしさがソコハカトナク漂う。7つの短編が収められていてどれもいかにも片岡ワールド全開という感じだった。さらりと読み流せる。どこかで南佳孝さんや大瀧詠一さんの音楽まで聴こえてきそう。

いい大人が昼間にふらりと喫茶店に入ってくるくらいだからよほど暇なのか無職なのかという会話から、「この店やらないか」といきなりマスターに誘われる表題作。あるいは偶然喫茶店で出会った作家や編集者がしめしあわせて、電車を乗り継ぎ美味いと評判のカレーライスを食べに行く話とか。

なんでもないことのように見せかけて、著者にも作品の登場人物にも意外と頑固なこだわりが垣間見えて微笑ましい。反面、正直こういう人たちと付き合うのは正直面倒くさいなあと僕などは思う。

日常であって非日常。どこにでもありそうな話なのに寓話的。ふだんよく耳にする会話のようであり、そのくせ外国映画の字幕や翻訳小説を読んでいるような感じもする。歯切れのよいハードボイルドふう。おしゃれっぽい。

ひねったタイトルといい著者にはただの思いつきのようなテーマでも、それが著者自身の記憶と読む人の記憶と上手い具合に混ざりあえば、どこまでも深い意味が付加されそうだ。まあ、間違いなくコーヒーは飲みたくなる。 

ミッキーは谷中で六時三十分

ミッキーは谷中で六時三十分

 

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パトリック・モディアノさんの『ある青春』を読む。パリから遠く離れたロープ―ウェイが見える山荘でふたりの子どもに囲まれしあわせに暮らす夫婦。奥さんのオディールの35歳の誕生日。じき夫のルイも同じ35歳になる。

誕生日の食事に招待した友人を駅まで送る車の中で、ルイはこれからパリへ戻るのだという友人から「君はパリへ行ったことがあるかい?」と尋ねられる。そのときルイの記憶の中に、パリのサン・ラザール駅でオディールと出会ったころの思い出がよみがえる。

ふたりともまだ20歳前だった。兵役を終えたばかりで身よりもなく将来の目的もなかったルイと、歌手志望のオディールはたちまち恋に落ちる。ベッドと小さなテーブルしか置けないオディールの狭い屋根裏部屋で一緒に暮らし、怪しげな大人たちの使い走りのような仕事を手伝って生計を立てた。

振り返ってみると、青春とはなんと世間知らずで怖いものなしで無鉄砲なんだろう。35歳になったルイも著者もそしてぼくもしみじみとそう思う。ときには愛する恋人のことをこっそり裏切ったりもしながら、いまはこうして穏やかに幸せに暮らしていることがまるで奇蹟のような僥倖に思えてくる。

誰しも訪れる青春時代との決別のときが、せつなくもあり寂しくもあり遠くに見つけた希望の灯りのように、ノスタルジックにしかしいたずらに抒情的に過ぎず語られる。それだけで胸がいっぱいになった。やや古めかしい感じのする訳が、当時の若い恋人たちの思い出話にはかえって相応しい雰囲気だった。 

ある青春 (白水uブックス)

ある青春 (白水uブックス)