ヒロシコ

 されど低糖質な日日

ケイト・モートン『秘密』を読んだ感想

ケイト・モートンさんの『秘密』(上)(下)読み終る。ぐいぐい引き込まれた。上手いなあ。面白かったです。面白かったけど「これミステリーかなあ?」とも思った。いわゆるそういうジャンルに括られてますよね。

たしかに冒頭に殺人事件が置かれている。それを当時まだ少女だったローレルが偶然目撃してしまう。母ドリーが、突然家を訪ねてきた見知らぬ男をナイフで刺し殺してしまうという衝撃的な事件だったわけだけど、そのときは正当防衛として処理されていた。

忘れていたはずなのに大人になって、ローレルはいまや国民的女優と呼ばれるようになったが、あのときの母の行動の謎を解明しようと思い立つ。老いた母がもやは死の床にいたからという理由もある。手遅れにならないうちに……。

でも本当はローレルの中に、あの日の事件の真相を知りたい、自分の過去について多くを語らなかった母の秘密を知りたい、という思いはずっとくすぶっていたのだと思う。このあたり導入部の展開もすごく上手い。

あの日、母はなぜ見知らぬ男を殺したのか?
あの男はいったい誰だったのか?
母ドリーはどんな少女時代・娘時代を送ってきたのか?
本当はどういう経緯で父と知り合い私は生まれたのか?

つまるところ、ローレルはいまの人気や地位とは別に女優としての行き詰まりを感じ、母の過去を知ることで自分のアイデンティティを訪ねる旅をしてみようと決意したのではないか。殺人事件の真相より主眼は実はそこにあるのではないかと思った。

なので、僕はこの小説がミステリーであるということに懐疑的なのだ。

まあでもいいや、そういうことは。真相を探りはじめたローレルだったが、探れば探るほどますます謎は深まるばかり。物語は戦時下のロンドンやもっと昔に遡って手繰り寄せる糸は先々でどんどん絡まっていくという。

やさしい夫と3人の娘と1人の男の子。明るくしあわせな家庭を築いた母に、いったいどんな秘密があったの? 古い写真に母といっしょに写っているヴィヴィアンという娘とはどんな関係だったの? 母のボーイフレンドだったというジミーという男の人はいまはどうしているの?

こうした疑問をローレルの一方的な視点から捉えようとするのではなく、当時のお母さんの視点やお母さんと接点を持った多くの人々の視点で書き分けている。時代も、現在と過去とを往ったり来たりという具合に交互に章立てして書き分けている。

この構成が実に見事で、秘密がひとつ暴かれそうになってもすんなり種明かしせず、もうひとつ深い階層に潜ったり、あるいは別の視点に移って真相に辿りつこうとするのだ。そこが焦れったくもあり、「ああ、まんまと深みにはまっていくなあ」という敗北感みたいなものもね、ちょっぴり感じざるを得ない。

まるでそうすることによって、複雑に交差する人間の欲望や嫉妬や愛情や友情というさまざまな感情をひとつひとつ丁寧にあたかも薄皮を剥がすように解きほぐしていくかのようだった。

戦時下のロンドン大空襲の夜の場面が、物語の始めと終わりにまったく視点を変えて、つまり相対するふたりの視点を一対のようにして描かれている。上巻の始めの方で読んだときはなんだかよくわからなかった場面が、下巻の最後に読む同じ場面で謎がするすると氷解していくあの快感!

話が二転三転するのはこっちが勝手に早合点してしまうからで、実際には(僕だけかもしれないが)上手にミスリードされてるわけだけど、そういう手法にまんまと嵌められていくのもすごく心地よかった。

真相がわかってくればくるほど若いころのお母さんがどんどんイヤな感じの女性になってくる。でもこれも最後まで読めば少なくとも僕は「あーなるほどなあ」という納得できる結末でした。ちょっとほろ苦いけどね。

タイトルの「秘密」は決してひとつではない。殺人事件に直接関係する大事な秘密もあれば、暮らしレベルの小さな秘密、たとえば戦時下でストッキングをどうやって手に入れているかというような、そのストッキングが伝線しているのをごまかすかような小さな秘密まで。

これなんとなく女性が読んだ方が断然面白いだろうなあと思った。もっともおじさんの僕が読んでもそうとう面白かったから、あまりそういうことは関係ないのかもしれませんが。 

秘密 上

秘密 上

 
秘密 下

秘密 下