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 されど低糖質な日日

映画『6才のボクが、大人になるまで。』感想

『6才のボクが、大人になるまで。』を見に行く。昨年末から評判がいいのは見聞きしていたが、年をまたいででも見に行くつもりでじっと目と耳を塞いできた。ようやく肩の荷が下りてホッとした。思ってたよりずっと長い上映時間だったけど、いつまでもスクリーンから離れがたいようないい映画だった。

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内容は邦題どおり、主人公メイソンJr. が6才のころから18才で高校を卒業するまでの12年間にわたるひとつの家族の物語。メイソンも彼の家族もきっちり12年分成長する。18歳が大人かどうかは異論があるだろうが、この映画を見るかぎりアメリカでは周囲の人々は十分に大人として対等に接している。

そしてそしてなんと驚くことに、主要キャストを12年間ずっと同じ俳優さんが演じ続けているというね。某局の大河ドラマの子役みたいに「よくそっくりな子を順々に探してきたなあ」という感覚で最初見てたら、途中でハタとこれみんな同じ人なんだと気づいて震えるくらい感動した。

そうやって見るとなるほどママ役のパトリシア・アークエットさんなんて、いっちゃ悪いけどその時々で腰回りがふっくらしたり若干スリムになったりと、もちろん着ている衣装のせいもあるんだろうけど不思議な感じだったものね。

どうしても僕はとっさに『北の国から』を思い出しちゃったなあ。あれをぎゅっと凝縮して2時間3時間の映画にしたらさしずめこんな感じになるのかなあと。ある意味これも定点観測みたいなものだし。

メイソンが6才の時点ですでに両親は離婚してパパは家にいない。この最初の、というかメイソンの実のパパがイーサン・ホークさん。少々やんちゃそうで若いころは夢を追いかけてました系のいわゆるダメ旦那。でも子どもたちには理解があり優しいパパ。

一家の引っ越しと同時に、かつてのパパとたびたび会うようになった頃からこの物語は動き出す。ちょっとだけネタバレしちゃうと、ママのパトリシア・アークエットさんはこのあとエピソードとして登場するだけで2人の男性と再婚する。でも結局この最初のイーサン・ホークさんが中では一番マシな旦那さんだった的なオチは面白かった。

男と女はいっしょに暮らしてみないとわからないこともあるし、離れてみてはじめてわかることもある。でも一度こじれてしまうと二度とやり直せないこともある。12年という歳月は子どもだけでなく親をも成長させる。この両親の関係性を追うだけでも濃密な人間関係が垣間見える。

ついでに書いておくと、パトリシア・アークエットさんは頭がよくてがんばり屋でとても子ども思いなのに、なぜか男を見る目だけはなさすぎというか男運悪すぎる設定なのが笑ってしまう。「でもそういうことってあるよねえ」と妙に納得できる配役な気がした。

さっきちょっとエピソードとして登場しただけでも云々、という書き方をしたけど、なにしろ12年間の記録だから全部を見てたらきっちり12年かかるわけだ。ぼくらが見るのはそのほんの一部でしかない。これは是非押さえておかないといけない。

どういうことかというと、見ていない期間にも時間は確実に進んでいるということです。ぼくらの生活でもそうだけど、1本の映画としては切り捨てられた、ドラマチックさとは無縁な日常が12年という歳月には思いの外ぎっしり詰まっているのだ。

だから監督は本当はスクリーンに映らなかった部分をこそ、観客にいちばん見てほしいのではないかと思った。

シナリオが先にあって、定期的に主要キャストとスタッフが集まって「じゃあこんどこのエピソード撮っておくか」というノリで撮影が進んだというより、生活の全部を実際もれなく撮っておいて、12年後のいま「そろそろ一旦編集して今日までの分だけでも公開しておく?」というふうな感じ。まあそんなことはないでしょうが。

でもあらかじめ考えられたメインとなるエピソードがあって、それ以外の小さなエピソードで繋ぎ合わせた類のものではないのはわかる。どのエピソードも同じような比重で描写されているのがよかった。映画の中のセリフにもあったように、つまり決定的な一瞬を見逃さないというのではなく、「いつだっていまがその決定的一瞬なんだよね」という姿勢に僕は強く惹かれた。

関連していえることは、各年代のフィルムがほとんどシームレスに繋がっているということ。エピソードごとにぶつぎれにならない。メイソンの年齢を表す字幕が出たり「ボクは○才になった」のようなモノローグがあるわけではない。それぞれのシークエンスはゆるやかに繋がる。

ママがひとりの男性と出会ったと思ったら次のシーンでは結婚して家族いっしょに暮らしているとか、そうかと思うと次のシーンではもう離婚して父親は出て行ったあとで、ずっと前からそうだったように父親不在の家庭に戻っているとか。くどくどと説明がないのがいい。

あるいは別のシークエンスでは「食事のあとの器をママにいつまでも洗わせないで。あなたはお皿洗いのプロでしょ」と母親がいったかと思えば、メイソンはいつのまにか高校生に成長していてレストランで皿洗いのアルバイトをしている、という具合に。このへんの繋ぎが実にスムースで上手いなあと思った。

とはいっても父子で『スターウォーズ』の話題で盛り上がったり、『ハリー・ポッター』の最新刊の発売イベントがあったり、ゲーム機の機種が変遷していたり、イーサン・ホークさんがオバマ候補(現大統領)の選挙活動の手伝いをしていたりと、時代のアイコンはさりげなく埋め込まれている。

ちなみに、イーサン・ホークさん途中でメイソンに命じてマケイン候補の看板を取り外させてる場面が出てくる。この人実生活でも熱狂的なオバマ支持者で有名らしいですね。オモシロイ。わからないけど、そういうの実生活と架空の物語の垣根もシームレスにしようと意識したのかもね。

まあ全体的には淡々とした内容なんだけど、ひとつひとつのエピソードは冷静に振り返ると結構キツイものが詰まっている。母親の離婚・再婚、再再婚。それに伴う引っ越しと度重なる転校。友だちとの別れ。いじめらしきもの。義父の暴力。初体験のホラ話や実の父親による性教育。実の父の再婚。

そうとうハードでグレてしまいそうな環境なのに、メイソンもお姉ちゃん(書き忘れてたけどお姉ちゃんがいるのだ)もそれなりに育った。というふうに僕はほぼ完全に親目線でこの映画を見ました。

メイソンの高校卒業パーティで、キッチンの片隅でかつて夫婦だったパトリシア・アークエットさんとイーサン・ホークさんが、「キミとオレの子どもたちがふたりとも高校を卒業する歳になるとはなあ」としみじみ語り合うシーンにぐっときた。泣きそうになった。いまの僕もちょうど同じ立場なのだ。 

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