ヒロシコ

 されど低糖質な日日

西加奈子『漁港の肉子ちゃん』感想

西加奈子さんの『漁港の肉子ちゃん』読みおわる。西加奈子さんの本を読むのはじめて。というか日本の若い作家の本読むことも数少ないからなあ。単純にタイトルに惹かれた。いったいどんな話なんだろうって。総じて上手いよね、いまの人たち。こういうタイトルつけるの。

「肉子」というのはあだ名なんですが、本名は菊子。だけど背がちっちゃいわりに太っていて不細工だから(と書いてある)肉子。本人もそう呼ばれて嫌がってるふうもないし、なにより娘からも肉子ちゃんと親しみを込めてそう呼ばれている。

男に惚れっぽくてだいたいろくでもない男に騙されてはそのたびになぜか北へ北へと流れていき、とうとう北陸の貧しい漁港に辿りついた。肉子ちゃん、底抜けに明るいキャラなのだ。明るいというか天然というかノーテンキというか前向きというか鈍感というか。とにかくそういうの全部ひっくるめた感じ。

小学5年生の娘に、「外人っていうと差別につながるから外国人といわなきゃダメだよ」と注意されても、「外人も外国人もいっしょ。デブでも肥満でもいわれる人の気持ちはいっしょ」などと少しも悪びれるところがない。「外の人と書いて外人と読む。そしてタトと書いて外と読む」なんてしょーもないうんちくを意味もなくときどき披露するところが個人的にはツボ。

物語の視点はおおかた娘のキクりんにあって、本名はヨロコビ久しい子と書いて喜久子。なんとお母さんの肉子ちゃん(本名:菊子)と漢字は異なるが同じ名前なのだ。まあこのへんがのちのち問題になるわけだけどね。

キクりん、呼び名も可愛いけど実物も肉子ちゃんと似ても似つかぬ可愛さで、といっても僕は会ったことないわけですが、おまけに頭もよくてやさしくてユーモアも解してと、僕には肉子ちゃんよりだんぜんキクりんの方が魅力的。

キクリンは、漁港のカモメや家の窓にへばりついているヤモリや生き物でなくてもたとえば神社とかの声が聞こえるし、幽霊だって見えるのだ。そのへんの秘密もやはりのちのち明かされて「あっ」となる。

ほかにも小学校のクラスの女子のちょっとした派閥争いに巻き込まれたり、年頃になってきて肉子ちゃんのことを(体型も性格も併せて)恥ずかしく疎ましく思うようになってきたり、肉子ちゃんに限らず大人の世界を垣間見てそこに偽善や欺瞞が透けて見えるのがちょっと憂鬱になったり。

と、いうことがキクりんのとびきりクールな視点で淡々と描写される。だけどこれネタバレかもしれないですが、「子どもらしい」というのが大人の幻想であるように、「ちゃんとした大人」なんていうのもしょせん子どもの幻想でしかない、ということが最後意外な人の口から聞かされて……。

まあそんな肉子ちゃんキクりん母娘と漁港の町の人々の、ありふれてるようでありふれてない愛すべき日々が綴られた小説です。著者の、限りなく生を肯定する背後に死の陰がちゃんと存在することを忘れていない確かな目を感じました。キクりんが大人に成長する過程はシリーズで読みたい気がします。 

漁港の肉子ちゃん (幻冬舎文庫)

漁港の肉子ちゃん (幻冬舎文庫)