ヒロシコ

 されど低糖質な日日

東京国立博物館『日本国宝展』感想

東京国立博物館へ『日本国宝展』を見に行く。50分待ちのアナウンスだったが実際には20分程度でなかへ入れてもらえる。館内も混雑はしているが、入場規制のおかげで、立錐の余地もないというほどではなかった。どの展示もすぐ近くまで寄って見ることができた。いうまでもないことだが、これだけの国宝が一堂に会すると、やはり「すげーなー」と圧倒されますね。

長い会期中なんどか展示品の入れ替えがあるので、以下は、僕が見に行った11月3日文化の日において展示されていた国宝の品々のうち、ごくわずかな展示品の感想を、出展目録を見ながらつらつら思い出して書いたもの。いずれも教科書で目にしたことがあるものばかりがずらりと勢ぞろいしたなあ、というのが全体をとおした印象です。テーマは「祈り、信じる力」。

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まず法隆寺の《玉虫厨子(たまむしのずし)》だが、残念ながら僕には玉虫の羽根を確認できず。その代りというか、扉絵の拡大図が4面ともパネルになって展示されていてありがたかった。ほかの展示でもそういう気配りが、ライトアップとかもね、まあ人によってはよけいなことだとか、邪道だという人もいるかもしれませんが、行き届いていたように思う。僕は単純にありがたいと思う派だからね。

今回、正倉院宝物が特別展示されていたけれど、これも本日まで。それが見たかったのできょうギリギリに駆け込んだというのもある。《鳥毛立女屏風( とりげりつじょのびょうぶ)》の羽毛も、ほぼ剥げ落ちているらしいよ。ガラス越しではちょっと見にくい。うっすいうっすい幽霊のような絵。(笑)

《蘇芳染螺鈿槽琵琶(かえですおうぞめらでんそうのびわ)》は、超むずかしい漢字が並んでいるが、要するに琵琶(びわ)で、螺鈿(らでん)というのは貝殻のこと。その名のとおりきらびやかな貝殻を琵琶の裏側に埋め込んだもの。だんぜん文句なしに目を引いた。イチオシ。といっても、これも東博ではきょうまでですが。スミマセン。

弥生時代の遺跡から出土した銅鐸の数々も、これこそ社会の教科書でよく見たなあと懐かしくなった。表面に絵画らしきものが描かれている銅鐸があり、ガラス越しによーく覗きこむとなるほど絵が判別できる。その絵が、まるでナスカの地上絵みたいだと思った。

それからある意味では、今回の展覧会のマスコットともいえる国宝の土偶ですが、全部で5体しかないそうだ。それが集結する。ただし、ぜんぶ集まるのはもう少しあとのことで、まだきょうの時点では2点のみ展示。

《合掌土偶》というのは両膝を立ててまるで体育座りをして祈っているポーズ。愛らしい。《縄文のビーナス》と呼ばれる土偶は、細い吊り目のふくよかな女性(?)。お腹とお尻がありえないくらい膨らんでいる。なんだろう、安産の祈願のお守りみたいな。いずれも縄文時代の遺跡から出土したもの。ちなみにお土産に土偶ガチャをやった。1回300円×2。

《松に秋草図(まつにあきくさず)》 は、ちょうどいまの大河ドラマ『軍師官兵衛』をおさらいするような時代のもので、茶々がはじめて産んだ子・鶴松を菩提を弔うために、秀吉が建てたといわれるお寺の襖絵だそうです。ちょうどいまこのタイミングで見る機会があって、親しみがわく。長谷川等伯(名前くらいは知っている)の一門によって描かれたらしい。

《観音菩薩坐像(かんのんぼさつざぞう)》と《勢至菩薩坐像(せいしぼさつざぞう)》は神々しいまでに(仏様なのに!)見事だった。お二方とも、死者を極楽浄土へ導くためにお越しになる阿弥陀如来の使いで、なるほどこころもち上体が前かがみになっているのが真横から見るとよくわかる。ダイナミックだ。しかもその角度が2体まったくおなじで唸ってしまった。

僕が死ぬときもこの人たちがお迎えにきてくれるのかと思ったら、なんだかとても心中穏やかな気持ちになった。余談だけど、高畑勲さんの映画『かぐや姫の物語』で、月からかぐや姫を迎えにやってくる一団のイメージは、まぎれもなくこういう感じの人たちだったなあとあらためて思った。

《地獄草紙》は本物はなにを書いているのかもちろん読めないのだが、口語訳したパネルによると、お酒にまつわ生前の過ちを罰するさまざまな地獄について、お酒を薄めて売ったらなになに地獄とか、お坊さんにお酒を勧めたらどこそこの地獄へ行くなどと書いている。あまりていねいには読みたくない。

《善財童子立像 (ぜんざいどうじりゅうぞう)》は、ポスターにも登場する立像で、土偶とならんで展覧会のアイドル的な存在。渡海する文殊さまの4人の侍者のうちのひとり。製作意図としては一団の先頭を歩く子どもらしい。

歩きながら文殊さまをふりかえる姿が、歩きふりかえりながらなお合掌は忘れない、えらい心がけだと解釈するか、でも僕はなんだか申し訳ないけど、「文殊さまに怒られちゃうからいちおう手合わせとくか」くらいのテキトーな気持ちでやってる子どもだというふうにしか見えない。まあ実際にはそんなバチ当たりなことではないと思いますが。

《元興寺極楽坊五重小塔(がんこうじごくらくぼうごじゅうのしょうとう)》は、奈良でもとりわけ僕は元興寺の風情が好きだというのもあるが、どうしても魅入っちゃうなあ。この小塔を運び出すのに、いちど極楽坊内で解体したそうで、その期間は寺の展示を一時的に休んでいることがお寺のサイトを見ると確認できる。また国宝展の展示がおわり運び入れるときも、同様の手だてが講じられるのだろう。

お釈迦様の入滅の光景を描いた《仏涅槃図(ぶつねはんず)》も目を引いた。中央に横たわるお釈迦様の周囲で悲しみに暮れ涙をふく者たちの姿がていねいに描かれている。なにやらタペストリーを思わせるものだった。最初に書いたが展示期間の関係で、今回は例の《金印》を見られなかったのがちょっぴり残念でした。5体揃った土偶も見たかった。ほんとうはこういう展覧会には、時期をずらしてなんどか足を運ぶといいんだろうけどね。