ヒロシコ

 されど低糖質な日日

映画『猿の惑星:新世紀(ライジング)』感想

『猿の惑星:新世紀(ライジング)』を見に行く。これめっちゃ面白くて、こんなドキドキしっぱなしの映画見るの久しぶりな気がした。2時間超あっというま。上映時間が長いからってわけじゃなくても漏らしちゃうかと思った。それくらい、全編に緊張感がみなぎっていた。すごくよかったです。

――以下、ネタバレあります。

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いちおう設定が前作から10年後ということになっているけど、前作見てなくてもおおよその世界観だけ理解していけば大丈夫。人類は、猿ウィルスの蔓延でほとんど絶滅にひんしていた。わずかに生き延びた人々が集まって、小さなコミュニティのようなものをつくって暮らしている。

一方猿たちのほうも、前作で森へ還ったリーダー猿のシーザーが、仲間たちとこちらも小さなコロニーをつくって暮らしていた。驚くべきことに、彼らは言葉を学び、火や道具(武器)を使い馬にものっているのだ。

このまま森と町で離れたまま、猿と人間が共存というか互いに干渉せず暮らしていければ平和だったのに、人間の側の燃料がそろそろ枯渇しそうになる。そこでマルコムという男がリーダーとなって、森のダムをなんとか復活させ、電気を町までひっぱってくる計画をたてた。

そうして人間が森に侵入したのがすべての間違いのもとだったのだ。両者が再びあいまみえることになる。というところまでが、映画のほんのさわりの部分です。あとはもうね、だいたい想像どおりの悲劇が起こる――。

猿のリーダーのシーザーと、人間のリーダーのマルコムの間には、いつしか信頼関係が芽生えるのだが、いかんせん、どっちの世界にも跳ねっ返りというか、愚か者というか、憎しみの感情しか抱いてないのがいて、互いにそういう火種を抱えながら、まさに一触即発のヒリヒリした状態がつづく。

たまらないよお。猿と人間と両者の関係がうまくいきかけてるとか思えば、ちょっとした行き違いがあって小競り合いがはじまる。ようやく仲直りしたかと思えば、また暴走するやつが出てくる。そのくり返し。小心者の僕は、「おいおいおいおい、もう勘弁してくれよ~」と祈るような気持ちだった。

とくに猿の側のナンバー2のコバという、この猿はかつて人間に虐げられ人間を激しく憎んでる猿なんだけど、その面構えがさ、目も歯もぐわっと剥き出したようないかにも悪役然としてるのがよかったなあ。猿は猿でも、猿相(?)がちゃんと描き分けられている。

それでこの映画が面白いのは、いっけん猿対人間というわかりやすい図式に見えて、まあ実際そうなんだし、でもほんとうはそれだけに留まらない普遍的な対立構造をちゃんと見せてるところだ。つまり肌の色や国や宗教、という意味でね。そこが狙いなんだろうけど。

そしておなじ種族同士でも、権力あらそいやイデオロギーの違いによる対立は生じるんですね。猿のコロニー内部にも、シーザーとコバというボス争いが発生し、人間の側でも猿を絶滅させようとするグループと、マルコムのように共存を訴えるものとの意見が対立する。

コバが暴走して人間を襲うことで、映画は一気にヒートアップする。シーザーが「オレたち猿は仲間を殺さない。でも人間は仲間同士殺し合う。だから猿は人間より上だと思ってきたけど、結局猿も人間とおなじように愚かになってしまった」というようなことをいうのには、皮肉以上にぐさりと胸に突き刺さるものがあった。

あとシーザーが、かつて自分を育ててくれた人間の家に立ち寄り、そこで見つけた古いホームビデオを再生するシーンにはやられた。マルコムが、「立ち入ったようなことを聞くが、そこに映ってる人間はだれなんだ?」と訊くと、「君とおなじようにいい人間だよ」と答えるシーザー。こないだは女の子が舞妓になるだけで泣いた*1僕が、こんどは猿の惑星でもうるうるしちゃうのかと。

いよいよ次回かその次あたりで、猿対人類の全面戦争は避けられない。そもそもこのシリーズは、あの砂浜に半分埋もれた自由の女神というショッキングな場面を最初に提示されてるわけだからね。そこに向かってどんどん、地球の暗黒面へと突入していくのだろう。

最後になってアレだけど、猿の表情や動きは、CGかモーションキャプチャーか着ぐるみか知らないが、もはや人間そのものとなんら遜色なく、すばらしくクオリティが高い仕事ぶりだった。猿が馬に乗って銃をぶっ放しながら人間の町に迫ってくる映像なんて、西部劇ばりのド迫力に僕は大興奮した。いやホントに面白かったです。 

猿の惑星:新世紀(ライジング) [Blu-ray]

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*1:『舞妓はレディ』