ヒロシコ

 されど低糖質な日日

映画『舞妓はレディ』感想

『舞妓はレディ』を見に行く。テレビのスポットCMでも流れるれいのアノ「♪ま~いこ~われぃでぃ~ま~いこ~われぃでぃ~」というメロディと怪しげな歌詞が、いまも僕の頭のなかでリピートをやめようとしない。とっても楽しい映画でした。

――以下、少しネタバレも含みます。というか、だからどうという映画ではないのですが。

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もちろんタイトルは『マイ・フェア・レディ』のもじりだが、リメイクというよりアイデアだけを借りたもの。笑っちゃったのが、あっちの The rain in Spain stays mainly in the plain.(「スペインの雨はおもに広野の降る」)という、言語の矯正に使った有名な歌が、こっちでは「京都の雨はたいがい盆地に降るんやろか」だからね。韻もなにもあったもんじゃない。

ストーリーはいたってシンプルだ。津軽からたったひとりで京都へやってきた春子という女の子が、舞妓さんになりたいといって花街のお茶屋さんに飛び込んでくる。春子は薩摩弁ネイティブのおばあちゃんと津軽弁ネイティブのおじいちゃんに育てられた、生粋のバイリンガル。

お茶屋の女将(富司純子さん)は、「どこの誰かもわからないし、だいいちその訛では京の舞妓は無理」といって断るのだが、京言葉の研究のため、たまたまその場に居合わせた言語学者のセンセが、「彼女の訛を直してみせる」といい、おなじくその場にいた客の岸部一徳さん(どこぞの金持ち)とかけをする、というような話です。あとは春子が、一人前の舞妓さん(といういいかたも変だけど)目指してがんばる。

厳しい花街の作法やしきたり、芸妓(その見習を舞妓と呼ぶ)としての唄や踊りや鳴物の稽古のほかに、春子の場合は方言の矯正に明け暮れる日々が続くわけだが、まあこの過程は、いつもの周防監督ほどのこだわりはないというか、わりとあっさりめに形をなぞってるだけという気がした。

というのも、映画は全体的にファンタジー色が濃く、しかもミュージカル仕立てなんですね。あまり徹底的に細部にこだわりすぎて、そういう(リアリティの)映画になってしまうのをきらったのだろう。なにしろ大学の研究室や花街の往来で、急に学者センセや芸妓さんたちが歌い踊り出す映画だから。

――なんだけど、役者さんたちをみな歌や踊りが一流の、いわゆる舞台のミュージカル俳優でキャスティングしてるかというと、それもまたちがう。あえていえば、存在感重視の配役。そういうところが、ひょっとしてこの作品の評価とか好きキライが分かれるところかもしれないね。まあでもいいやそんなの。

『マイ・フェア・レディ』だけじゃなく、『ペーパー・ムーン』のパロディとか『緋牡丹博徒』(富司純子さんだけに)とか、監督自身の『Shall we ダンス?』のパロディまで取りこんで、映画への愛も存分に感じた。竹中直人さんと渡辺えりさんのダンスなんて、それだけでもう笑っちゃうし。卑怯だといえばこれほど卑怯なことはない。

『ペーパー・ムーン』の、あの書割のセットのまえで歌い踊る夢のあるシーン、すごく楽しかったなあ。そこに一見カメオ出演のように登場するスター俳優・妻夫木聡さんも可笑しい。似合ってる。あれ赤木圭一郎のパロデイ?

若い春子が、なぜ舞妓になりたいと思ったのか? なぜツラく苦しい見習いの日々を辛抱できたのか。そのことがわからないと、この映画はそもそも成りたたないわけで、いちおうその説明についても映画のなかで、それもわりとはじめのころにあっさりとネタを明かされる。

むしろ僕がいちばんよかったと思うのはそこで、つまり春子の出生にまつわる秘密をあまり仰々しくせず、それを核にもってこなかったことが、この映画を期待どおりハートフルなコメディとして成立させたのだ。そして主役をつとめた上白石萌音さんは新人だそうだけど、この人の存在感がなによりずばぬけてスバラシかった。

順撮りしたのかどうかわからないが、はじめに出てきたときは、いかにも津軽弁と薩摩弁のバイリンガルといわれて納得の野暮ったい感じのする女の子だったのに(シツレイ)、最後に髪を結って化粧をして着物を着て本物の舞妓さんになったときの可愛らしさには、思わず「あっ」と息をのみ目をみはるものがあった。これが同じ女の子かと。

でもあれだね、16歳の女の子が舞妓になるという、ただそれだけの話でポロポロするとは僕は思いもよらなかったよ。面白かったです。も1回見たい。 

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