ヒロシコ

 されど低糖質な日日

大江健三郎『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』感想

大江健三郎さんの『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』読みおわる。なんかこれは少し難しかったなあ、という印象です。難しいというのはスタイルのことで、内容についてはいつものようにわりと平明で、やはりいつもの登場人物たちが出てきて最後は作家が生まれ故郷の四国の森へ行くという話だった。

大江さん本人とおぼしき「後期高齢者」の作家・長江古義人が、3・11以後の日常の雑事をあれやこれやとつづる。3.11以前と以後では明らかに自分を取り巻く世界は変わっているのだ、と作家が強く意識した視点が新しいといえば新しい。おなじ日常の繰り言(失礼)であっても、小島信夫や庄野潤三は、3.11を経ることなくあの世へ行ったのだ。

知的障害をもって生まれてきた長男アカリも早50歳になり、長女の真木とふたり、いよいよ父・古義人の呪縛から逃れるため四国の森へと移住する。そのへんの真相は、「三人の女たちによる別の話」として、小説の中にもうひとつの小説というスタイルで差し挟まれるという、やや複雑な構図だった。

あいかわらずどこまでが現実でどこからがフィクションかを、判別するのはそれこそ至難の業だ。だけど作家がフィクションだと主張する以上は、読者は作家を全面的に信頼して読むほかない。けれども、どうしたって作家・長江古義人=主人公=大江本人として読んでしまう。

そうしたうしろめたさを感じている上に、れいの「三人の女たち」(妹のアサと奥さんの千樫、長女の真木の3人の女性たち)から、長江への抗議文という形のものが、書きかけの『晩年様式集』のあいまあいまに差し挟まれる。このことが、僕が最初に難しいと感じた要因なんだろうと思う。

「三人の女たちによる話」とは、長江の小説にこれまで一方的に書かれてきたことに対する彼女らの「反論」なんですね。なので、長江=大江の書くことを信頼して読んできた僕にすれば、「え? 違ったの?」ということになる。フィクションとして読んできた事実(らしきこと)が、事実とはいいきれないものだった、つまりフィクションですらなかった(?)というね、非常にややこしい状況に置かれるわけだ。

けれどまあ、それゆえ面白い側面もあって、たとえば「どうせあなたは人の話を聞かない」だとか「『知識人』などと世間では言われているくせになんですかあのザマは」とか、けっこう痛烈ないわれように、長江=大江がたじたじとなるふうが見ていて素直に楽しい。

あと、作家の義兄で映画監督の塙吾良(伊丹十三とおぼしき人物)の死の真相についても、多くを割いて語られているのはスノッブ的な興味を惹く。

イタリアの作家からの質問状に対し、長江が真木に、自分の代筆として返答を書いてみないかともちかけ、真木はそれを受ける。その質問の中に、「三人称の主語で小説を書くことがなぜできないのか?」というようなものがあった。

この問いは、いいかえると「なぜいつも自分の家族をモデルにした小説ばかりを書き続けるのか?」というものだ。大江の小説『水死』のなかでも、読者からの問いという形で触れられていた(これは同じ問いに対して書いたものだったのか?)。それに対して真木の回答は明確で、「小説はアカリの誕生以来の生活のごく一部なのだ」というもの。僕はとても納得できる。

この小説で僕がいちばん好きな場面は、なんといっても長江がギー・ジュニアとともに、(入院中の千樫の面倒を見るため東京へ戻ってくる真木の代わりに)四国の森へ行った最初の晩のことだ。

バックから睡眠薬を取り出し、いつものように飲もうとすると、階下で眠っているはずの長男アカリが起きてくる気配を感じる。薬は飲まずしばらく起きてることにした長江。

東京の成城の家では、毎晩、父親の(長江の)義歯のコップに薬剤を入れるのがアカリの役目になっていた。そうすると泡立った音がブクブクいうから「ブクブク」と名付けられたその行為を確認して、長江はアカリのベッドへ行き、アカリの毛布を整えてやるのを習慣にしていたという。

父である自分の呪縛から逃れてきたはずのこの四国の森の家でも、アカリのそのしきたりは忘れられていなかった。長江がアカリの部屋へ入っていくと、アカリが毛布の下でクスクス笑っている気配に気づく。「ああ、しきたりは守られたのだ」と安堵する場面。「今夜はお休み。ブクブクをありがとう」と長江がアカリに囁く。読んでいて思わずぐっとくるところだった。

大江は『水死』を最後の小説として発表し、みずからの「死に支度」について書いた。それから3.11を経て、今度もまた「最後の小説」として『晩年様式集』を書いている。

後期高齢者となっても、三人の女たちからの抵抗もなんのその、反原発運動の先頭に立ち、ある意味まだまだぶざまに生き続ける姿を見て(失礼)、僕もがんばって生きてみようという勇気をもらった気がする。 

晩年様式集 (講談社文庫)

晩年様式集 (講談社文庫)